兵庫出身・上垣アナ×東京出身・秦アナ
秦アナ:
私も災害や防災について伝えていますが、歴史上の南海トラフ地震については、今回、調べて初めて知ることもありました。
これだけ繰り返し発生していること、直近の南海トラフ地震から80年近く経とうとしていることを考えると、「いま」備える・伝えることの重要性を、ひときわ感じました。
上垣アナ:
私も今回、この石碑を2人で調べて
本当にいろんなことに気づくことができました。
解説の中に「大阪の誇るべき文化遺産です」と書かれていたのが、すごく印象的で。
たまたま残っているのではなくて、地元の人たちが守り続けてきた。
それを大阪が“文化”として誇っている。
なんだか、関西人として誇らしくなりました。
石碑を書いた人の伝える力や知恵も、それに応えて、残し続けてきた人たちの努力も、すばらしい。
その両方がかみ合って、あの石碑があるんだろうなと感じました。
170年経って、その心意気が、今、秦令欧奈という一人の人に伝わって、新しい防災発信につながろうとしている。
そう考えると、やっぱりこの石碑が持つ力って・・・すごいなと思いました。
秦アナ:
そうですね。自分がいま感じていることが、この石碑を作った先人たちの思いと重なって、ちゃんと自分に届いた気がしました。
正直に言うと、これまで防災について、自分が主導して発信しようと動いたことはほとんどなかったんです。
でも今回、上垣アナと一緒に取材したことで、「これからは自分から動けることがあるな」と初めて思えました。
上垣アナ:
それはよかったです!
秦アナは、大阪でアナウンサーになって、1年半。
東京出身で、知らない土地という感覚もあると思います。
それに、東京以上に大阪では南海トラフ地震の脅威が身近だと思うんですが、その中でアナウンサーとして働くというのは、どうですか?
秦アナ:
ことし、カムチャツカ地震で津波警報が出たとき、和歌山県の那智勝浦にヘリで飛んで中継をしました。
そのときに、自分の勉強不足を本当に痛感したんです。
波の状況を最初に伝えなければいけない場面で、入り組んだ海岸だったこともあり、白波が立っていた。
でも、那智勝浦の「いつもの海」を知らない。これが津波による異変なのかどうか、正直、その場では判断がつかなかったんです。
上垣アナ:
関西の人間でも、那智勝浦の波を見て判断するのは難しいけど…。
でも、すごく分かる、それは。
ただ、今こうやって何カ月も経ったあとでも、秦アナからその話がすっと出てくる、那智勝浦という地名が何度も出てくるということは、あのとき、那智勝浦の人に「何を伝えるべきか」を真剣に考えながらヘリに乗っていたんだろうなと感じて。
その姿勢って、すごく大事だと思います。
秦アナ:
そう言ってもらえるのはありがたいんですが…。
正直、串本と那智勝浦で何がどう違うのか、そこまで落とし込めていなかったんです。
上垣アナ:
どれだけ事前に勉強して、準備しているかが大事か、ということですね。
私も関東にやってきて1年半。
千葉や茨城の沿岸部の地名も、まだまだわからない。
その土地のことを知っていれば、例えば「ここには海水浴場がある」という知識ひとつで、夏に津波警報が出たとき、「海水浴客がいるかもしれない」と、連想できる。
そうすると、伝える角度も、言葉の選び方も変わってくる。
やっぱり、その地域のことを知っていくっていうのはすごく大きい。
お互いの知っている土地を入れ替えっこしただけに、アナウンサー2年目、知らないことがまだまだあるから、やっぱり勉強し続けないといけないなって、強く思います。
秦アナ:
本当に、大きなきっかけになりました。
今回は、ありがとうございました。
上垣アナ:
こちらこそです!
ありがとうございました。
