自然災害の歴史から防災を学ぶ、「災害遺構プロジェクト」。
あなたの地域で、過去にどんな災害が起きたのか?
全国の災害遺構をめぐり、先人たちが遺したメッセージや災害の爪痕から、
地理歴史科の教員免許をもつ、フジテレビの上垣皓太朗アナウンサーが災害の歴史を解説。
また、防災士の視点から、防災に役立つ知識を紹介します。
みなさん、こんにちは。上垣皓太朗です。
関東や東北で大きな被害を出した2015年の記録的大雨から10年がたちました。関東地方では鬼怒川が氾濫し、大きな水害が発生しました。今回は、その鬼怒川について紹介します。
鬼怒川氾濫から10年…常総市に「決壊の碑」

鬼怒川は、栃木県と群馬県を分ける山から流れ出て、茨城県を通り、利根川に合流します。本川の流路延長が177kmにおよぶ大河川です。
鬼怒川の堤防が決壊したのは、下流部にあたる茨城・常総市でした。

場所 :茨城県常総市三坂町(鬼怒川堤防上)
災害名:平成27年9月関東・東北豪雨 (2015年9月10日)
鬼怒川の堤防の上に、ぽつんと建っている石碑が、鬼怒川氾濫の伝承碑です。

堤防に上ると、目の前には広大な関東平野が広がり、遠くまで続く田畑や集落を一望できます。遠くに見えるのは、関東の人にとっては遠足の定番スポットだという、筑波山です。
のどかな風景。そして、一見、どこに川があるのかわからないほど。普段は細く穏やかな流れです。
ここで氾濫が起きたとは思えないような光景です。

しかし石碑には、台風と前線の影響で多数の線状降水帯が発生して記録的な大雨になったこと、そして、この石碑がある地点より200mにわたり堤防が決壊し、常総市の約3分の1が浸水する甚大な被害になったことが記されていました。
一見どこに鬼怒川の流れがあるのかわからないのも、河川敷が広いから。これも、いったん増水すると、これだけの広さがないと受け入れきれないことを意味しています。
鬼怒川は、ふだんと、洪水のときとで、その姿を大きく変えるのです。
鬼怒川沿いの「絹の里」・結城を舞台にした小説に、こんなせりふがあります。
「なんだ、こげに見てると鬼怒川は、なかなか綺麗な川でねか。流れも静かだ、水量も多い、水が澄んで川底まで見えるなんざ、前にも東京から河川局のお役人が来て、いい川だと褒めていたというが、これなら鬼が怒るなんて文字より昔の通り絹川と書いてもらいたいものだよ。そうすれば絹川村も大威張りだのに惜しいね。もっとも荒れるときは本当に鬼のようで手に負えねだがら仕方もなかろうが」
(有吉佐和子『鬼怒川』 による)
川の名前の由来については諸説ありますが、小説のこんなせりふにも、鬼怒川の変貌に対する驚きや恐怖が表現されているのかもしれません。

この鬼怒川の氾濫を調べていると、「関東最古の治水工事は鬼怒川だった」という記述が!千年以上も前から、鬼怒川で治水工事が行われていたのです。
そこで、古文書解読検定という資格をもつ新人アナウンサー、吉岡恵麻さんと調べてみることにしました。