自然災害の歴史から防災を学ぶ、「災害遺構プロジェクト」。 
あなたの地域で、過去にどんな災害が起きたのか? 
全国の災害遺構をめぐり、先人たちが遺したメッセージや災害の爪痕から、 社会科の教員免許をもつ、 フジテレビの上垣皓太朗アナウンサーが災害の歴史を解説。 
また、防災士の視点から、防災に役立つ知識を紹介します。 
今回は富山テレビとコラボし、射水市の遺構についてご紹介します。

気象予報士の堀元アナが取材した庄川洪水の伝承碑 

みなさん、こんにちは。上垣皓太朗です。 
地域の災害遺構を訪ねる『災害遺構探訪記』。今回は、フジテレビ系列局・富山テレビとのコラボでお届けします。協力してくれたのは、2024年入社の同期・堀元優花アナウンサーです。 
気象予報士で防災士の堀元アナは、その専門知識もいかして、夕方の報道番組「ライブBBT」でお天気キャスターをつとめ、日ごろから富山の人たちに防災について伝えています。 
 

一緒に新人研修を受けました(2024年5月)

堀元アナが取材したのは、1934年に発生した富山県西部を流れる庄川の洪水被害を伝える伝承碑。ことしの7月11日は、発生から91年にあたります。 
(この洪水被害に関連する特集は2025年7月11日の富山テレビ「ライブBBT」にて放送) 
 

※地理院地図をもとに作成

堀元アナが取材したのは、1934年に発生した富山県西部を流れる庄川の洪水被害を伝える伝承碑。ことしの7月11日は、発生から91年にあたります。 
 

災害名:庄川洪水 (1934年7月11日) 

岐阜県の山岳地帯に降った大雨が庄川に流れこみ、堤防が決壊。今の射水市の一帯が湖のようになったと伝わります。20人が亡くなり、94棟の家屋が流失する大洪水でした。 
 

庄川沿いに点在する7か所の伝承碑 ※地理院地図をもとに作成

場所 :富山県射水市(浅井コミュニティセンター駐車場など) 7カ所 

オンラインで取材報告をする堀元優花アナ

――堀元さんは富山県高岡市出身ですが、庄川洪水のことは知っていましたか? 

気象予報士ですが、知らなかったですね。身近な人に聞いていっても、4人またいでやっと、『祖母の友達の友達』で初めてわかるという人がいました。それでも、直接体験した人に会うことはできませんでした。 
富山地方気象台にも聞いてみたんですが、まだ気象台がないときで、詳しいデータは残っていないそうです。本当に昔の人の伝聞を通じてしか感じ取ることができない、それぐらい前の災害なんです。 

直接話を聞けたのは、復興の様子を知っている方です。88歳の方によると、「戦時中で米を納めなければいけなかったのに、洪水の影響が残っていて米が育たず大変な苦労をした」ということでした。 
 

浅井コミュニティセンター(旧浅井小学校)の伝承碑

――長引く農業への影響は深刻だったんですね。直接災害を経験した人が少なくなっているということは、いっそう伝承碑などが重要になってきます。石碑は何年ごろに建てられたものですか? 

 旧浅井小学校があった場所の石碑は、1994年に建てられたので、洪水から60年後です。この大洪水をみんなに伝えたいという伝承の気持ちが強くて、石碑のほかにも、子どもたちがおばあちゃんとかに聞き回って、当時の様子を書いたものを作っていったそうなんです。
 

浅井コミュニティセンター(旧浅井小学校)の伝承碑

――90年代に、洪水を体験した人から直接話を聞ける時間も限られてきて、残していかないといけないという機運が高まったんですね。石碑にはどんなことが書かれているんですか? 

「集落内に、家屋、立ち木と一緒に、人も流されてきた」、「近くのお寺で救助ロープで奇跡的に一命を取り留めた人もいた」と書かれていて、人も流される洪水ってどんな洪水なんだろうと思いました。