自然災害の歴史から防災を学ぶ、「災害遺構プロジェクト」。
あなたの地域で、過去にどんな災害が起きたのか?
全国の災害遺構をめぐり、先人たちが遺したメッセージや災害の爪痕から、社会科の教員免許をもつ、フジテレビの上垣皓太朗アナウンサーが災害の歴史を解説。
また、防災士の視点から、防災に役立つ知識を紹介します。
今回は東京・赤羽にある災害遺構をテーマに住んでいる地域の特徴を調べる方法を紹介します。
「せんべろ」の街・赤羽駅近くの住宅街で
みなさん、こんにちは。上垣皓太朗です。
今回やってきたのは、東京の北区・赤羽。

安く楽しめるお店が多い、1000円でべろべろに酔える“せんべろ”の街として有名で、大衆居酒屋が軒を連ねます。駅前ビルにも、何軒もの飲食店が。
空がまだ明るい平日の夕方に訪ねましたが、早くも飲み屋街は活気づきはじめていました。
民間の住宅ローン専門金融機関が2019年に発表した『本当に住みやすい街2019』で、交通の利便性などを理由に大賞に輝いた赤羽。せんべろの街を抜けると、多くの人が暮らす閑静な住宅街になっています。

場所 東京都北区赤羽西4-27(赤羽三和児童公園)

住宅街の一角。
すべり台やブランコがあるいたって普通の児童公園に、その石碑はありました。
災害名 狩野川台風 (1958年9月26日)
回りこんでみると、銘板には、こう記されています。

「昭和三十三年九月、東日本一帯に猛威を振るった台風二十二号は、未曽有の雨量を記録し、爲に旧被服廠跡外一ヶ所の崖地に不慮の大崩壊を生じ、一瞬十柱の人命を失うの悲惨事を惹き起こした。」
(適宜表記を改めています)
東京で史上1位の大雨…がけで起きた惨事

いまから67年前の1958年9月26日、台風22号が伊豆半島をかすめ、翌日にかけて神奈川県三浦半島に上陸したあと、北日本方面へ北上しました。東海・関東地方で大雨となり、死者と行方不明者が合わせて1000人を超える甚大な被害が出ました。
伊豆の狩野川流域で氾濫が起きたことから、のちに「狩野川台風」と名づけられたこの災害では、東京でも記録的な大雨に。1日の降水量371.9ミリという記録は、現在まで東京での観測史上最大となっています。
そして、この慰霊碑が建つ現場でもがけ崩れが発生し、10人が犠牲になったのです。
辺りを歩いてみると、さまざまな風景から、当時の状況を想像することができました。

たとえば、公園の後ろは…いまも高い土地になっていて、集合住宅が建っています。住所でいうと「赤羽台」で、銘板に「旧被服廠跡」と出てきた場所です。戦時中は陸軍施設、戦後しばらくは米軍住宅でしたが、長く公団住宅として親しまれました。
そして周辺を歩いてみると、高低差が目につきます。周りを高いところに囲まれた谷の地形になっていることを実感しました。

比較的低い土地のすぐ後ろに、比較的高い土地が迫る―――こうした地形の特徴があることがわかりました。擁壁工事の技術などがいまより進んでいなかったでしょうから、当時は、いま以上にがけ崩れのリスクが高い場所だったのです。

大雨による災害は、場所によって「起こりやすさ」に違いがあります。大きな地形だけでなく、小さな地形によっても起こりやすい災害の種類は違います。
ぜひ、家のまわりや職場のまわりなど、ピンポイントで土地の特徴に注目して、どんな災害リスクが考えられるのか、確認してみてください。