自然災害の歴史から防災を学ぶ、「災害遺構プロジェクト」。
あなたの地域で、過去にどんな災害が起きたのか?
全国の災害遺構をめぐり、先人たちが遺したメッセージや災害の爪痕から、地理歴史科の教員免許をもつ、フジテレビの上垣皓太朗アナウンサーが災害の歴史を解説。
また、防災士の視点から、防災に役立つ知識を紹介します。

今回はテレビ愛媛とコラボし、松山市の遺構についてご紹介します。

“妖怪・伝承マニア”小川アナが愛媛の災害伝承を取材

みなさん、こんにちは。上垣皓太朗です。

今回は、フジテレビ系列局・テレビ愛媛とのコラボでお届けします。協力してくれたのは、小川日南(おがわ ひな)アナウンサーです。

テレビ愛媛・小川アナとのオンライン対談

実は小川アナ、大学時代に「災害伝承や、災害から生まれた妖怪」を専門に研究してきたという、知る人ぞ知る“妖怪・伝承マニア”。伝承碑を訪ねるこの連載と、学びの化学反応が起こる予感がプンプンします!

地理歴史の教員免許を持つ私・上垣と、妖怪伝承を愛する小川アナで、「防災」を考えます。

※地理院地図をもとに作成

場所:愛媛県松山市北条辻
災害名: 昭和南海地震 (1946年12月21日) ほか

上垣アナ:
小川さん、今回は愛媛県松山市の災害遺構を取材したそうですね。
 

小川アナ:
今回「愛媛編」ということで、松山市にある『自然災害伝承碑』を取材してきました。注目したのは伊予北条駅の近くにある石碑で、1946年に発生した昭和南海地震の記憶が刻まれています。 

伊予北条駅から海へ向かうと大鳥居が現れる

上垣アナ:
南海地震というと太平洋沿岸の被害を中心に思い返すことが多いですが、瀬戸内海側の松山市にも、南海トラフ地震の生々しい記録が遺されているんですね。石碑にはどんな内容が書かれていたんですか?
 

小川アナ:
伝承内容にはこうあります 。 
「松山市堀江町から浅海町に至る約15kmの海岸は、標高3~4mの石積堤防又は天然海岸で、度々高潮被害を受けてきたが、昭和21年(1946)12月の昭和南海地震により約60cmの地盤沈下が生じ、その後の昭和25年(1950)、27年(1952)、29年(1954)の相次ぐ台風により大きな被害を生じた。」
地震の揺れそのものだけじゃなくて、地盤が沈んだことによって普段よりも台風・高潮や水害への注意をしなければいけなくなったんです 。
 

昭和南海地震とその後の高潮被害に関する石碑

上垣アナ:
つまり、「地震+台風」の複合災害にも気をつけないといけない、ということがこの石碑から読み取れるわけですね。
 

地盤沈下対策で建てられた防波堤

小川アナ: 
今回の取材では、防波堤ができる前の北条を知る69歳(取材当時)の方にお話をうかがうことができたのですが、文字として遺されている複合災害が、いかにリアルに当時の生活を直撃したのかが分かりました。当時は本当に海のすぐそばに住宅があって、「家から裸足で来てそのまま海に飛び込むような感じ」だったそうなんです。それが地盤沈下によって一変し、台風のたびに水害が相次いだことで、現在は私たちの目の前にあるような立派な防波堤が築かれることになりました。
 

上垣アナ:
「家から裸足で来てそのまま海に飛び込むような感じ」・・・情景が目に浮かぶようです。私たちが今見ている「防波堤のある景色」そのものが、過去の複合災害を乗り越えて築かれてきた、教訓の現れなんですね。「地震の備え」というと、私たちはどうしても「揺れ」ばかりをイメージしがちですが、地盤が沈んだ後に続く水害リスクなど、その後の「暮らしの変化」まで含めて見据えなければいけない。この石碑と現在の防波堤の景色は、まさにそのリアルな姿を教えてくれています。
 

小川アナ:
日常の景色の中にこそ、過去の歴史が生きているんですよね。そして、松山の海の暮らしを見つめてきたこのエリアには、実はもうひとつ、はるか昔からこの海辺に鎮座し、地震の歴史を物語ってきた場所があるんです。鹿島といいます。
取材では、さきほどの69歳の方が、子どものころに聞いていた“鹿島が守ってくれている”という言い伝えを教えてくださいました!
 

海岸から約300m沖にある鹿島

上垣アナ:
そんな言い伝えが!そして、言い伝えがまさに口から出てくる瞬間をカメラで記録できたなんて、歴史好きとしては心ときめきますね!
 

小川アナ:
私もです!