「臼井真さんが亡くなった」
小学校の同級生からのメッセージが、私にとっての第一報でした。
兵庫県出身の私(フジテレビアナウンサー・上垣皓太朗)の頭の中には、驚きや悲しみとともに、自然とあるメロディーが流れ出しました。
♪傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
(『しあわせ運べるように』より)
1995年、神戸市の吾妻小学校に勤務していた音楽教諭の臼井真さんは、阪神・淡路大震災からおよそ2週間後に、『しあわせ運べるように』を作詞・作曲。神戸を中心として、各小学校をはじめ、追悼式典や成人式などで歌い継がれています。
私も、連絡をくれた友人も、直接臼井さんにお会いしたことはありません。それでも、『しあわせ運べるように』、『みえない翼』など、学校の垣根をこえて地域で歌われつづける曲を生み出した人として、そのお名前を記憶しています。
歌い継がれる『しあわせ運べるように』
私が小学校に通っていた2007年から2013年ごろにも、毎年1月を中心に練習していた『しあわせ運べるように』。いま歌えるかな、と13年ぶりに口ずさんでみると、口からするすると歌詞が出てきました。自分でもびっくりするほどに、ほぼ完璧に。
好きな歌詞はここです。
♪響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
(『しあわせ運べるように』より)
子どもたちの歌声が大人にとって希望になることを、子どもたち自身が歌う。昔歌っていたころは、気恥ずかしくも、ちょっと誇らしく感じていたことを思い出しました。大人になって、この歌詞の温かみがいっそう身にしみます。
「生まれ変わる 神戸のまちに」の「神戸」の部分は、それぞれの地名に変えて、東日本大震災や熊本地震など全国の被災地で歌われてきました。「響きわたれ」という力強い歌声は、復興をめざす人の心をなぐさめ、励ますものだったに違いありません。
一方で、子どものころには、正直なところ「苦手」な歌詞もありました。
♪亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
(『しあわせ運べるように』より)
この、とても丁寧な中にも、どこか距離を感じさせる、「方々」という言葉。
震災発生直後、臼井さん自身も自宅が全壊し、傷ついた神戸に衝撃を受ける中で紡がれた言葉は、「亡くなった人たち」ではなく、ほかならぬ「亡くなった方々」だったのだと思います。小学生当時、私はそこに凄絶な犠牲のリアリティを感じていたのかもしれません。
私は阪神・淡路大震災を知らない世代です。映像を見たり、語りを聞いたりと、家庭でも学校でも、さまざまな方法で震災について伝えられてきましたが、音楽という形で震災を知るひとつの拠りどころが、『しあわせ運べるように』でした。
地域のおおよそ30代以下の人には、かなり知名度が高いのではないかと感じますが、被災した世代の大部分といえる40代以上の人は、学校行事などで歌った経験がないのではないでしょうか。
31年前に神戸市灘区で被災した母は、 “身内が小学生になってはじめて知った曲”だといいます。むしろ、震災を知らない世代が共通して知り、歌っていることに、不思議な気持ちになる、ということでした。
その上で、「苦労話の押しつけのようにならない、音楽という伝える方法があるんやなって。(『しあわせ運べるように』を)音楽の先生がつくったというのは、そういう意味ですごい納得感があるね。」と話していました。
企業や自治体の呼びかけではなく、あくまで地域の中から音楽教諭が生み出し、多くの人たちが広げてきた『しあわせ運べるように』。大切な記憶を伝える、あの優しいメロディーはこれからも脈々と生き続けていくのでしょうか。
臼井さんをしのびながら、音楽の力の大きさを改めて感じています。
