<三谷幸喜 コメント>
これといった理由もなく、民放の連続ドラマから離れてずいぶん月日が流れました。そんな僕と仕事がしたいと言ってくれた勇敢な若手プロデューサーさんとの出会いがあり、この度25年ぶりに、フジテレビのゴールデン・プライムタイムに帰って参りました。
プレッシャーはたいして感じておりません。悩んだところで、自分に書けるものは高が知れていますから。
書きたいものを書く。描けるものを描く。僕より下の世代の力のある脚本家さんが沢山いる中で、自分にしか書けないものって何だろう。
そもそも今の若者の生態を描くなんて僕には無理な話。辿り着いたのが、自分の青春時代を描くということ。それなら僕以上に上手く書ける人はいないはず。当たり前ですが。
1984年。当時僕は駆け出しの放送作家。バラエティ番組の構成をしながら、芸人さんのコントの台本を書いていました。
あの頃、自分には永遠の未来があるように思っていた。人生には無数の選択肢があると信じていたし、溢れるほどの希望に満ちていた。どうしてあそこまで前向きでいられたのだろう。
それが若さだと言われればそうかもしれない。でもそれだけではない。
あの頃は僕だけではなく、時代が、この国そのものが、パワーと明るさに充ち満ちていた。みんなで、足並みを揃えて坂を登っていくそんな空気が、80年代の日本には確実にあった。
あの時代そのものを描いてみようと思いました。誰もが夢に向かってがむしゃらに生きていたあの時代を。
そんなドラマを書くことが出来たら、どんなにステキだろうか。どこまでも不安定な今の時代、不安を抱えて生きる人々へのエールや励ましになるのではないか、そんな気がしたんです。
と、大風呂敷を広げてみましたが、実際出来上がった台本は、限定された場所と時間と人物による、かなりこじんまりした感じになっています。皆さん、どうかびっくりしないで下さい。結局僕が書くとそうなってしまうんですね。
つまりはどこを取っても、僕にしか書けないドラマだということ。
面白さは保証します。