去年2024年8月、乳がんのステージ3aと診断されたことを公表した、梅宮アンナさん。
診断後に待ち受けていたのは、右胸の全摘手術や抗がん剤治療、放射線治療など、大きな不安や痛みと向き合う、闘病の日々…。
そんな人生の岐路に、アンナさんと一緒に生活し乳がんと向き合ってきたのが、娘の百々果さんでした。

2人は乳がんという現実を前に、母として、娘として、そして女性として、互いにどう感じ、どう行動したのか?
乳がん公表から1年2ヵ月、『めざましmedia』はアンナさんと娘・百々果さんにインタビュー。当時の状況や感情を、赤裸々に語り合ってもらいました。

9人に1人が生涯でり患する可能性があり、女性にとって非常に身近な病気である乳がんを、”家族の問題”として捉え、自分や大切な人の体と向き合うきっかけになれば...。
ピンクリボン月間に、そんな想いを込めてお届けします。

娘の後押しで気付けた乳房の異変

Q最初に胸の異変に気付いたのはいつですか?
百々果:

去年2024年5月頃にママから「胸がちょっと痛くて…」という話を聞いていました。その後、胸の左右の大きさが違うと聞いて写真を送ってもらったら、(大きさが)完全に本当に違っていて…。片方は普通の胸、もう片方はまるでシリコンが入ったような硬そうな胸でした。
ママに「これはちょっと違う…すぐ病院に行きなよ!」と伝えたら行ってくれました。

アンナ:
右胸はおわんみたいな形になっちゃって。私がかかった浸潤性小葉がんは、おっぱいが中央に寄ってくるのが特徴らしくて、中央に皮膚が引っ張られて痛かったんです。最初は何の痛みかが分からなくて、痛み止めを飲んでいました。

Q病院での検査から診断が確定するまでの時間はどう過ごしていましたか?
百々果:

検査から結果が出るまで2週間、「たぶん大丈夫だよ…」とママに言いながら待って…。でも(2週間後の検査結果は)まだグレーゾーンで…またさらに2週間(検査結果を)待たなきゃ行けなくて…。その時はもう眠れなくて、ストレスで泣いて泣いて...。

乳がんという事実をどう伝えたか

Q検査結果はどのような形で伝えましたか?
アンナ:

当時百々果に送ったLINEが残っているので読み上げます。
「今、深刻な状態ではないけど...がんだった。私のおっぱいの状態はあまり症例がなく、来週金曜日に、正式に治療法がわかります。抗がん剤になるか、全部摘出か、来週金曜日にわかるから」