Q帰国すると聞いた時、どんな気持ちでしたか?
アンナ:

「帰ってくる」と言われたときは、すごく嬉しかったです。成田空港に迎えに行って。インスタグラムにも当時の様子を投稿していますが、もう(百々果を)見た瞬間、こうやってこうやって(ぴょんぴょん跳ねて)(笑)
この人(百々果)は私が“こんな風に跳ねるほど元気があるの”?と思ってショックだったみたい(笑)

梅宮アンナ公式インスタグラムより

百々果:
抗がん剤治療も始まっていたから、会うのは楽しみだけど、絶対ぐったりしているだろうなと思ったら、なんかぴょんぴょんしている人が待っているなと思って(笑)。

闘病生活スタート 生涯忘れられない“髪の毛が抜けた瞬間”

Q闘病生活がスタートして、印象に残っていることはありますか?
アンナ:

抗がん剤治療の影響で髪の毛が抜け落ちることを医師から伝えられていたのですが、たぶん生涯忘れることはないと思うんですけど、ある日シャンプーをして洗い流していたら、ごっそりと髪の毛が抜けて…。
髪の毛が全部一気に抜ければまだいいのですが、部分的に抜けていくので…表面は残っていても内側の髪の毛は抜けていたりするので、ものすごく絡まっちゃって。
一緒に生活している母(※クラウディアさん)を呼び、髪の毛を切ってもらいました。

百々果に髪の毛を切ってもらうようお願いしていたのですが、帰国する前に抜けてしまったので…。
もう母(※クラウディアさん)はショックなわけですよね、自分の娘が髪の毛がなくなっちゃうのが、本当に…。かわいそうだったんだけど、泣きながら髪の毛を切ってくれました。

アンナ:
また闘病中に肺炎になってしまいました。即入院になり5日間ほど熱が下がらず、その時はもう息も出来ないし、がんで死ぬのではなくて肺炎で死ぬのか…と思いました。百々果も車いすで治療室に向かう私の背中を見て、「ママもうダメかも」と思ったそうです。

とにかく無我夢中だった抗がん剤治療

Q百々果さんが帰国してから、闘病に対する考え方やマインドの変化はありましたか?
アンナ:

とにかく無我夢中で治療に取り組んでいて、周りの人たちがそばにいてくれるからどうこうというレベルではなく、本当に抗がん剤治療がきつかったです。
でももちろん一人では厳しくて、やっぱり百々果がいてくれて、病院に付き添ってくれたりしたのは本当に大きかった。ご飯を作ってくれたり、すごく助かりましたよね。

百々果:
ママの前では泣きたくなかったです。(帰国前に)電話ではすごく泣いていましたが、帰国後は悲しく思わせたくなかったのが大きいです。

闘病生活で生じた母娘関係の変化

Q闘病生活における二人の関係はどのようなものでしたか?
百々果:

(普段から)結構喧嘩はするんですけど、(病気になってからは)あまり喧嘩はしなくなりました。(ママは)ちょっと優しくなった感じで、あまり怒らなくなった。

アンナ:
単純に争う体力がないんですよね。“やられたらやり返す”という今までのやり方は無理になりました(笑)
娘が女の子で良かったなと思うのは、同性だからちゃんと身体の話ができること。だから痛みがわかってもらえる。男の子だとこうは行かない、良かったってすごく思いましたね。
元々すごく仲が良いからオープンで、親子で何でも言ってきて。
お互いがやっぱりリスペクトはしてるんですよね。私はこの人(百々果)は私には持ってないいろんなものを持っているなと思っています。