1985年、アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビューし、一世を風靡(ふうび)した新田恵利さん(56)。あれから40年近くが経った今、新田さんは千葉市の淑徳大学で客員教授として教壇に立ち、自身の介護経験を学生たちに伝えています。今回『ノンストップ!』は、アイドルから大学教授へ転身した新田さんの思いに迫りました。

母親の介護経験が講義の原点に

「会員ナンバー4番 新社会人の味方 新田恵利です」
1985年に「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビュー、翌年には『冬のオペラグラス』でソロデビューも果たし、80年代のアイドルブームをけん引してきた新田さん。

それから40年の時が経ち、彼女の姿は今、大学の教室にありました。
現在、千葉市の淑徳大学で客員教授として、教べんをとっています。

そんな“新田先生”が教えているのは…介護の「心の部分」。

新田:
どうしてもきつい口調で「きのうの夜言ったじゃん!」とか「うるさいよ!」とか言っちゃうときが多々あったんですね。それを言ってしまったら仕事に行くすがらずっと自分の言葉に後悔です。

「おニャン子クラブ」在籍時に父を亡くし、その後、母・ひで子さんと二人三脚で歩んできた新田さん。

新田:
退院した時の母は一人で立つこともできず、自分で歩くこともできないしトイレに行くこともできないし なんでこんな姿になっちゃったんだろうって思いましたね。

2014年、骨粗しょう症による骨折で入院していた母・ひで子さん。退院後は自らの力で立つことができなくなってしまい、「要介護4」に認定されました。その日から新田さんの在宅での介護生活が始まりました。

新田:
介護になったらグンッと親の死が近づいたような気がして、「頑張らなきゃ!頑張らなきゃ!」って思うんですけど、介護って介護されている人も協力してくれると、介護している側もこんなに心も体も楽になるんだなって思いましたね。

「大学に行ったことがない…」不安を抱くも伝えたい“ある思い”

2021年に母・ひで子さんを看取るまでの6年半で体験した在宅介護。その大変さとそれを支えた親子関係などリアルな体験談を、いま学生たちに伝えています。

新田:
「大学の教授?」だって私、高卒だし大学に行ったこともないので。「そんなところで授業できるかな?」っていう不安はいっぱいあったんですけど。自分が体験した介護のお話を、一人でも多くの人に伝えたいという思いの方が強かったので、やってみようと思って。

新田さんは大学からの呼びかけで、2023年の6月から淑徳大学の客員教授に就任。年に4回の基本講義とオープンキャンパスでの特別講義などを担当しています。不安を抱きながらはじめた講義だったそうですが、次第にある思いが芽生えたといいます。

新田:
大学っていうのは、知識だったり頭でお勉強するようなことを教えてくれる。そして実習とかアルバイトとかで今度は体で体験する。でも「私は心の部分を話せるんだな」っていうのに気がついて、学校で学んだことのない「介護をされる方とその家族側の話が伝えられればいいんだ」と思ったので、なんとかやれるかなと思ってがんばってます。

2月14日に行われた特別講義の開始前。メモにつづられた“ある大事な言葉”を忘れないよう確認する新田先生の姿がありました。

新田:

信頼関係が築けている親子は認知症になっても親が言うことを聞いてくれる。

6年半の介護の経験から新田さんが一番伝えたいこととは…。