1980年代・1990年代と“トレンディドラマの女王”として一世を風靡した俳優の浅野ゆう子さん(64)。

元々、アイドル歌手として1974年に「とびだせ初恋」でレコードデビューし、そのスレンダーな美脚から“ジャンプするカモシカ”というキャッチコピーまでついた浅野さんが、2025年1月26日に50周年記念ライブ『YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW「KANSYA」』を行いました。今回『ノンストップ!』は、“俳優”ではなく“歌手”としての浅野ゆう子さんの1日に独占密着!芸能生活50年の歴史がつまった記念ライブにかける思いや、舞台裏に迫りました。

浅野ゆう子 「芝居も歌も声・喉が一番大切」

当時ブームだったディスコで、曲がパワープレーされていた歌手・浅野ゆう子さん。

そんな浅野さんがライブ当日、会場に到着すると…

スタッフ:

今日は当日ですけれども どうですか?

浅野:

なんかもう 既に緊張マックスです

と、緊張マックスな様子。

リハーサルでは歌のチェックを念入りに行います。

そんなリハーサル中、手の届く場所に置かれていたのは丸い缶。

浅野さんにとってステージには欠かせない大事なアイテムだといいます。

浅野:

芝居の舞台も歌も、声・喉が一番大切

のど飴はいっぱい持っているんですよ

リハーサル中、浅野さんの手元にあったのは「のど飴」。

カバンからも次々と、のど飴やうがい薬など喉のケアグッズが出てきました。

実は単独ライブを行うのは40年ぶりだという浅野さん。持ち物にも余念がありません。

「芝居一本で生きていきたい」 演技のため声のトーンを落とした過去

1974年に「とびだせ初恋」でレコードデビューを果たし、その後も当時流行していたディスコサウンドを意識した楽曲を次々とリリースした浅野さん。歌手・モデル・役者と幅広い活躍を見せる中で当時、浅野さんにはある思いがわき上がったといいます。

浅野:

20歳過ぎぐらいから取材を受けた時に「あなたの本職は何ですか?」「歌手ですか?タレントですか?モデルですか?」とか質問をされることが結構あったんですよ

その時に自分で「女優 浅野ゆう子」っていう、肩書きが欲しいと思ったんですよ

そこから事務所の方とお話しして「芝居一本で生きていきたいんです」ってお願いをして、3年近く経ってトレンディドラマの声をかけていただきました

「女優・浅野ゆう子」の名が一気に広まったのは、1988年のフジテレビのドラマ「抱きしめたい」。

共演した浅野温子さんと共に“W浅野”の愛称で親しまれ、以降 次々とドラマの主演を務め、いつしか“トレンディードラマの女王”と呼ばれるようになりました。

現在ではどんな役もこなす、日本を代表する俳優のひとりとなりましたが、今回歌を歌う上ではこんな苦労も…

浅野:

芝居を演じるために声のトーンを少しずつ落として行ったんですね

自分がセリフで聞いた時に心地いい声にって思って作ってきた声を、今度は歌が歌えるキーに戻さなくてはならない。どのキーまで声が上がるのかっていうのは、非常に未知の部分で自分でもトライだったのですが、(コーラスの)斎藤久美さんのレッスンを半年間、1日3時間を週5日間は受けまして、久美さんが出るようになったねっておっしゃってくださるところまで持ってこれたので、頑張れば行けるんだなという気持ちが今すごくあります

さらに浅野さんは、今回のライブに向けて体づくりをがんばったといいます。

浅野:
どうしても短パン、ミニスカートが着たいと思って…