Qアンナさんの場合も受け入れるのに1カ月かかりましたか?
アンナ:

私ね、10日間。

世継:
強いな...(笑)

アンナ:
10日間ですごく勉強したんですよね。治療をしていくカタログみたいな本があるんですよ。先生に渡されて「自分が何の病気にかかって、どんな治療が必要かを理解しないと難しいから、勉強して下さい」って言われたんです。
「『なんで私はがんになったの?なんでなんで...』と私が言っていると、治療に響く」と…そうハッキリは言われないんですが、やっぱり「治そうという気持ちが大事」だと。
もう泣いている暇はない、泣いてる時間はないなって思いました。

10日間のうちに全部泣いて、理解して、厳密にいうと11日目からはあんまり落ち込まなかったです。10日の間でウィッグ屋さんも探したし。(抗がん剤治療で)髪の毛が抜けちゃうから、ウィッグを探すことに気持ちを切り替えて自分を明るくしていったんです。

“ネットも同じ境遇の人も頼らない” アンナ流・乳がんとの向き合い方

Q乳がんについて勉強される時はインターネットを見ることも多かったですか?
アンナ:

まず、先生とお約束があって。「何かを調べたい時に、インターネットを見ないで下さい」って言われました。「わからないことは僕に聞いて下さい」って。
今の時代は色々大変だなって思うのが、それこそインターネットの世界に入って行けば「がんにこれが効きます」っていう情報がいっぱいあって。自分でジャッジできるところまで知識をちゃんと持っていないと、とても危険で…。
今これだけSNSが普及しているなかで、何のルールも無いじゃないですか。(見ると)どんどん負のスパイラルになっていっちゃうから…私は見なかった。治療法を間違えると…っていつも思っていました。
自分にとって正しいものを選ぶ…私は“標準治療”のみでチャレンジしました。

世継:
あの、横の繋がりってないの?同じような病気の人達とのコミュニケーション。

アンナ:
あるよ。そういうサークルはあるのだけど…私は入らなかった。いっぱい誘われたけど。そこにいるとみんなで励まし合えるんだけど…でも私はそうじゃなくて…なんかこう…“違う話”がしたい。違う話をして、元気になりたい。だから私はそこには入らなかったんだよね。

Q髪の毛が抜けるということには抵抗がありましたか?
アンナ:

一番先生に食ってかかったというか、「本当に抜けるんですか?」って。先生は「はい」と。「でも、抜けなかった人もいるんじゃないですか?」って言ったら「そんな症例は見たことない」って。「じゃあ私がそうかもしれないじゃないですか」って言ったら「抜けるよ」って。
まだ(がんと判明した)最初のほうだから「治療しなかったら、私死ぬんですか?」というのも聞いたし、そしたら先生が「それは分からない。神様しか分からないよ」と。その時、先生に言われたのが、「とにかく、治そう!という気持ちになってください」と。

世継:
その時、「治そう!」と思ったの?

アンナ:
その時(診断直後)はまだそうは思えていないよね。なんて言うのかな…まだ…心と頭が一緒にならないから。10日間くらい泣いて、10日が過ぎた頃に「よし」って。
その時に思ったのが、親がいなかったり、子どもがいなかったら、治そうという気にならなかったかも。辛いの知ってるから、やっぱり、治療が。

結婚後、夫婦でのがん診察 支えてほしい私と抜け殻になった夫

今年5月に“出会って10日婚”を果たしてから、アンナさんの闘病は“夫婦でのがん闘病”へと変化。
すると2人はそれぞれ、新たな感情と直面することになったといいます。

世継:
がんセンターに「ついてきて」って言われて行った時に、そこはみんながんなんですよ。子どもから、おじいちゃんおばあちゃんまで、元気そうな若いギャルみたいな子まで、みんな。「全員がんなの?」と思ったら、もう喋れなくなっちゃって…。

アンナ:
一緒に行って帰りの車、(世継が)抜け殻みたいになっちゃった。

Qその時はアンナさんの方から「一緒に行こう」と声をかけたのですか?
アンナ:

治療していた時に、いつもご夫婦を見ると、「いいなぁ、いいなぁ、いいなぁ...」ってずっと思っていて(笑)
で、夫婦になって「よっちゃんに来てもらおう」って、結構一方通行な想いだったことに気付いて、「ごめんなさい」って言いました。

世継:
一緒に行くのは当然だと思っていたし、僕もいつも病院行っているのでへっちゃらだと思っていたけど、違うんですよね、その“重さ”が…。自分がダラダラした格好で行ったら、まず皆さんに対して「失礼している」と思いました。