宮崎美子さん主演、土ドラ『介護スナックベルサイユ』は、魔法のワインを飲むと会いたい人に会えるという不思議なスナックを舞台に展開するヒューマン・ファンタジー。

<試写室>『介護スナックベルサイユ』第5話

「ドラマ『介護スナックベルサイユ』における“夢”と“現実”について考える」(急に)

このドラマにおける、“夢”と“現実”って、すっごく、興味深いですよね?

だって、このドラマの肝である、飲めば会いたい人に会えるというワイン「SEE YOU IN MY DREAMS」は、“会いたい人に会える”って、普通に考えてそれだけで非現実的だし、自ら「DREAMS(=夢)」って名乗ってんのに、ママ(宮崎美子)いわく、起こっていることはすべて“現実”あり“真実”とのこと。

で、実際、“会いたい人”と喋ってるのを見る限り、本人しか知りえない情報も仕入れられてるから、妄想や願望ではなさそうだし。そもそも妄想や願望も何も、一緒にダンス踊ったり、演技したり、写真撮ったり、それに伴った現物も手に入れちゃってるから、確かにあのワインの効能は“現実”であり“真実”のご様子…。

うん、で、なんですけど、そんなこんなの“なわけない!!”が、実際ドラマ上では、そうであると仮定する…飲み込むとするじゃないですか。うん、ま、このドラマ、ドラマですしね(当然)。

でも、だとすると、このドラマは、介護スナックに訪れるお客さまたちの悲喜こもごもを描くオムニバスと、そこへ現れた何も知らない青年・大輝(杢代和人)の闇バイト問題の縦軸でもって、構成されていて、その大輝の闇バイト問題は、お客さまたちの“夢のような現実”ではなくって、生々しい、“逃げられない現実”なわけですよね?

だから、それらを一緒にまとめて描くとなると、どんなにつらい現実でも、ワインを飲むことで夢のような現実に変えてしまいましょう…みたいな、そんなメッセージ性をもってしまいかねないですよね?

で、その“逃げられない現実”ってのも、自らの過失ではない、ならわかるんですよ。自分ではどうにもできない現実から逃れたい人が、導かれるように介護スナックへやってきて“夢のような現実”を目の当たりにして、そんな場所があってもいいと知って、だから自分は癒やされました…みたいな。そんな、自分ではどうしようもない現実と立ち向かう人たちの、夢のような逃げ場になって、救われる場所として描かれるのであれば、よし、と思えるじゃないですか?

だけど、大輝の闇バイト問題は、大輝が望んだわけではない…とはいえ、甘い話に自ら乗っかっちゃってて、挙句犯罪に片足ツッコんじゃったわけじゃないですか。だから、そんなエピソードを“夢のような現実”とかけ合わせたって、簡単にはオチに収まらないじゃないですか。“夢のような現実”なんか見てないで、“逃げられない現実”を直視しろ!じゃないですか。

だから、その二軸、すごく食べ合わせが悪いなーって。むしろもうめんどくさいから、闇バイトの縦軸、入れない方がよくない?とすら思うわけじゃないですか(だけど、その闇バイト問題のストーリーも、目が離せないんだよ!?)。

なのになのに、このドラマは“夢のような現実”と“逃げられない現実”を、“あえて”一緒に描いている!!んですよね。

なぜなら、ママは大輝にこう言うのです…

「あなたの見えてる現実は、この店の外にある」

「自分に見えてる世界が、唯一の世界とは限らない」

「ドアの外にある現実は、あなたにとって不都合な世界なんじゃない?」

「ここにいれば、誰もあなたに手が届かないわ…」

つ…つまり、つまり?逃げても、いいんじゃ…ない?ってこと?なの??かな??不都合な世界から逃れて、今のこの夢のような場所にいても…いいんじゃ…ない?ってこと??大輝…普通に、犯罪に片足ツッコんじゃってるのに??

でも、ママって、大輝が何したか知らないし…いいや!ママが大輝のコト、何も知らないとは言わせないよ!?だって、あんなに“なんでもお見通し感”出してんだから!!だから、ママは大輝を、きっとすべてを受け入れて肯定しているはず??…今の現実に向き合わないで、逃げることを、今その時点では肯定している…なぜ、なぜだ…。

うん!「マジ、わかんねーし!」(第3話 大輝の捨てゼリフ)

はい。っというわけで、前回の「SEE YOU IN MY DREAMSの効能に関する考察」に引き続き、考えるだけ考えといて、結局よくわかんなくなったので、最終的に匙(さじ)を投げてしまいました(いい加減にしろ!!)。