──1984年当時とは大きく状況が変わった今、この作品を届ける意味はどのように感じていますか?
能動的でいろということではないのですが、当時の人たちはみんなエネルギーがあって、それぞれの生き様がステキなんです。久部は嫌われていく役ですが、今の時代、嫌われることも、失敗もできないじゃないですか。壁にぶち当たる前に「3歩先に壁があるよ」と教えられる時代だから、壁にもぶつかれない。
そんななかで、ある程度、盲目的に進んでいく久部たちの生きる力みたいなものを見ていただくことは、何か意味があるんじゃないかなと思います。
──夢に向かってがむしゃらに突っ走れるというのは、今の時代貴重かもしれません。
そうですよね。でも、久部がSNSをやっていたら叩かれて、炎上するでしょうけど(笑)。
ただ「こういう人がたくさんいたんだ」と知ってもらうことが大事かな、と。いろいろなエネルギーのある人がいることによって“表現”は生まれるし、生活が豊かになるし。そういったことを感じてもらえたらうれしいです。
菅田将暉“初めて見た芸能人”神木隆之介との違いを痛感した過去
──この作品では、何かになりたいけど何者にもなれずにもがく若者が描かれています。菅田さん自身は、誰かと比べてしまったり、憧れたり、もがいた時期はありましたか?
あります。同世代の俳優とか、小さい頃からお芝居をしている人とか…それこそ、共演する神木(隆之介)は、僕が初めて見た芸能人なんです。
中学2年生のときにオーディションを受けたのですが、途中でトイレに行きたくなって、本番中にステージを抜けてトイレに行ったんです。そうしたら神木とすれ違って、「うわ、神木隆之介だ!」みたいに、リアクションしてしまって(笑)。
そこで痛感するわけです。僕はその当時、まだ本当に俳優をやるかとか、何も想像できていない普通の中学生でしたが、神木はもう第一線で活躍していて、みんなが知っているヒーローで、華もあって。そういう同世代を見ると「うわ、無理~」って思っていました。
──どうやって突破口を開いたのですか?
何かがあったわけではないです。神木との話で言えば、自分は何もやっていなかっただけで、向こうは小さな頃からお芝居をしていた、その差なので。当時は「とりあえずやってみるか」という感じでした。
そのあとは、幸いにも『仮面ライダーW』(テレビ朝日)をはじめ、恵まれた環境にいられたことで、一生懸命にやってこられたことが良かったのかなと思います。振り返る間もなく、人と比べる余裕もなく。
しかも、当時はまだ今ほどSNSは発達していなかったですから。目の前にいる人の、対峙していること以上の情報がなかったので。「次に会うまでに」という気持ちでメラメラできていたと思います。今は「今日こんなことしてるんだ」と見えてしまうので、どうしても比べちゃいますよね。

──この作品を通して、どんなメッセージを伝えたいですか?
久部という人間の軸だけで考えると、彼には演劇という好きなものがあります。演劇で名をはせたい、蜷川幸雄先生に認められたい、「あいつよりもいいものをつくりたい」と思うようなお話です。そんな彼が、最終的にどんなゴールにたどり着くのか。
このドラマを見てくださる皆さんにもいろいろな人生があって、それぞれに理想としているものがあって、成し遂げたいこともあるでしょう。でも、美味しいごはんを食べるだけで幸せというような、見えていなかったところに気づけた幸せは大事だなと思います。
コロナ禍が明けたとき、人と会ってしゃべれるだけで幸せだと思ったじゃないですか。一つの出来事ですごく幸せになったり、悲しかったり、いろいろな感情になれると知っていただけたらうれしいです。