フジテレビ昼の生放送番組「笑っていいとも!」で使用されたスタジオがある新宿アルタ。
きょう2025年2月28日、45年間の歴史に幕を閉じます。

JR新宿駅・東口の目の前。大型ビジョンを備えた「アルタ前」は待ち合わせの定番スポットに。
27日、アルタ前には、名残惜しそうにカメラを向ける多くの人の姿がありました。

撮影に来た女性(50代):
20代学生の時は、飲み会の待ち合わせ場所はアルタ。
「アルタ前集合ね」って。アルタ前も(人が)すごくて、探すのが大変だった思い出があります。

「いいとも青年隊」にとって新宿アルタは?

昭和、平成、令和…街を行き交う人々と共に時を重ねていった新宿アルタ。
『めざまし8』は、最後の「いいとも青年隊」、真田佑馬さんと野澤祐樹さんを取材。
2人にとって新宿アルタはどんな場所だったのでしょうか?

真田佑馬:
当時、僕、大学生だったんですけど、アルタに行って、生放送が終わってから大学に行くっていうのが、2年半の僕の思い出でして。
僕にとっては青春の場所でもありますし、学校でもありますし、そして一番感謝している場所でもあるので、今まで本当にありがとうございましたの気持ちがアルタにはいっぱいです。

野澤祐樹:
いろんな経験を積ませていただいたのがアルタだったし『いいとも!』だったし。それがなかったら今の自分はいないし。新宿降りたらアルタないなってこれからは思っちゃうかもしれないけど、その思い出だけはこれからもずっと大事にしていこうって思いました。

運営する三越伊勢丹によると「近年ビル全体の売り上げが低迷。収益の改善も見込めないことなどもあり営業終了を決めた」ことから閉店となった新宿アルタ。

玉袋筋太郎

「めざまし8」のスタジオでは新宿生まれ新宿育ちの浅草キッド・玉ちゃんこと玉袋筋太郎さんと共に、新宿アルタが時代を変えた4つの理由に迫りました。

新宿アルタの歴史

新宿駅東口、地上8階建てのファッションビルとして1980年4月に開業。
「ALTA(アルタ)」の名前の由来は、「『ALTERNATIVE』既存のものにとらわれない」ことから。

創業当時のパンフレットの一部を見てみると…
1階「アルタで待ち合わせ デイトプラザ&キャラクターファッションフロア」、4階「二人で選べるペアルック 爽やかスポーツマインドフロア」などが記載され、『笑っていいとも!』が放送されていた7・8階は「T.Vイベントフロア」となっています。

左:MC谷原章介 右:玉袋筋太郎

倉田大誠アナウンサー:
アルタができて、当時の新宿はどう変わりましたか?

玉袋筋太郎:
戦後の闇市マーケットみたいなところからイメージは変わりましたよね。明るくなって、情報を発信するところだなという感じ。新しいものが生まれた!とワクワクしました。

MC 谷原章介:
大人になってから『いいとも!』に出させていただけるようになってアルタ行くようになったんですよ。僕は渋谷起点の東横線だったんで新宿はなかなか…怖い街っていうイメージがありました。でも、アルタ行くようになってからだんだんなじむようになって、おいしいごはんとかいっぱい食べさせてもらったりしましたね。

新宿アルタの前身は、三越グループの食料品店「二幸」。1926年に創設し1978年に閉店しました。
1923年の関東大震災後に商業地として発展した新宿駅東口。「二幸」は同時期に創業し、復興を支えました。

新宿アルタが時代を変えた理由

都市商業研究所・若杉優貴氏によると…

①買い物以外の魅力発信

正面ロビーには「テレビ伝言板」が設置され、求人情報や占いなどを発信していました。

イベントスペースがあり、芸能人のイベントなども多く開催。
1981年には小型FAXの展示会で、東京~大阪間で似顔絵などをFAXで送るお見合いイベントが開催されていました。

玉袋筋太郎:
テレビ伝言板はSFチックでワクワクしますよね。でも今じゃもう携帯で情報全部見れちゃいますもんね。
壁面テレビはみんなで見たりしました。あんなにデカいのはどこにもなかったですから。

②流行発信の場

1980年代は20~30代の若者向けDCブランド中心。バブル期はギャル系ブランドなど10代の若者にも拡大し、2000年代になると手芸店・雑貨店などが増え、様々な世代向けに。2010年代からはアイドルのライブイベントと、年齢層を拡大しながらカルチャー発進し、“サブカルの聖地”へと姿を変えていきました。

③大型街頭ビジョン

「アルタビジョン」
1980年に日本初の大型ビジョンを設置。1992年にカラー放映が開始され、2001年には大型ビジョンとして世界初のハイビジョン放映。
皇太子さま(当時)のご婚約内定や、平成1年11月11日11時11分11秒の“1並び”の瞬間、新元号「令和」の発表など、歴史的な出来事を映し出し、多くの人を釘付けにしてきました。 

若杉氏によると「ここまで大きな大型街頭ビジョンは開店当時(1980年)非常に珍しく、大きな知名度獲得につながった」ということです。

④笑っていいとも!

1982年10月4日~2014年3月31日まで、合計8054回放送された『森田一義アワー 笑っていいとも!』。
「テレフォンショッキング」や「曜日対抗いいともCUP」など、数々の人気コーナーが誕生。
2002年には「同一司会者により最も多く放送された生バラエティ番組」としてギネス世界記録に認定されました。

若杉氏いわく「番組と共にアルタも全国的な知名度に。華やかな場所というイメージもあって、“聖地巡礼”する観光客も増加した」ということです。

「いいとも!」のOPを再現するMC谷原章介と倉田大誠アナウンサー

「いいとも!」に約2年間出演 倉田アナ:
新宿に来るというよりも「アルタに行きたい」と。私も長野県出身なので、「アルタ」というと「行ってみたい!」という思いがあったのを覚えています。

倉田アナ:
新宿アルタ閉店で新たな新宿へ、どういうお気持ちですか?

玉袋筋太郎:
またどでかいもの作るっていっても大変でしょうし…。でもやっぱりアルタが務めた役割というのは、「光は新宿より」という言葉があるんですけど、それを体現してくれたビルだなと思って。感謝しかないです。

(『めざまし8』 2025年2月28日放送より)