“燃える男”、“ミスター”と呼ばれ親しまれた国民的スター、長嶋茂雄さん(89)が亡くなりました。人々の胸に刻まれた数々の言葉や伝説、そんな野球に捧げた生涯を取材しました。
“長嶋茂雄ロード”「異論はありません」
静岡県伊豆の国市にある「長嶋茂雄ロード」。

長嶋さんが自主トレの際、この道路を走っていたことから付けられました。

「長嶋茂雄ロード」の発案者 金子佳史さん:
長嶋さんが「私には何も(長嶋ロードに)異論はありません。うれしい話です。ぜひ進めてください」って言われたんです。夢や希望をいただいて本当にありがとうございます。

現役時代の1967年から約7年間、自主トレの拠点として利用していた「大仁ホテル」。長嶋さんはここで「山ごもり」と称し、厳しいトレーニングに励んでいたといいます。

大仁ホテル元管理支配人 佐々木義次さん:
お部屋の中にネットを張って毎日夜、200球のバッティング練習をしていました。1球1球が単なるバッティング練習じゃない、「1球1球が真剣勝負なんだ」と。1球だけ打ち損じたボールの跡が今も残っています。今となっては宝物ですね。
朝練の時に近くの高校へ行って卓球をやったり、バスケットボールをやったり、選手の中に一緒に交じって、そういう日も結構あった。気さくな人だったんですね。
高校のグラウンドで生徒たちがマラソンをしている中に途中から入っちゃうんですよ。で一緒にマラソンをやる。
元巨人軍投手からみる“ミスター”
1974年10月14日、「我が巨人軍は永久に不滅です」の言葉と共に引退をした、長嶋茂雄さん。この日、投手としてマウンドに立っていた、元巨人軍の横山忠夫さんを取材しました。

元巨人軍投手 横山忠夫さん(75):
長嶋さんの引退試合のために、お客さんが超満員で来ているわけだから。とにかく早く(試合を)終わらさなきゃということで、ストライクゾーンをめがけて。

観客は試合を見に来ているのではなく、“ミスタージャイアンツ”の言葉を聞きに来ている。そんな、妙なプレッシャーを感じながら必死にボールを投げていたといいます。
現在は、都内で手打ちうどんのお店を経営しており、店内には所狭しと長嶋さんとの思い出が飾られています。

元巨人軍投手 横山忠夫さん(75):
雲の上の人というか、神様だから、自分たちからすると。
自分ぐらいのピッチャーが長嶋さんに話しかけるとか、長嶋さんも話してくるとか、そういうことはもう本当に全くなかったんで。
横山さんは、長嶋さんと同じ立教大学出身でしたが、気軽には話せなかったといいます。そんな横山さんから見た、長嶋さんはどんな人物だったのでしょうか。

元巨人軍投手 横山忠夫さん(75):
王(貞治)さんと長嶋さんって比較されるようにして話をされる、王さんは努力の人、長嶋さんは天才型。我々も後から入ったけれども、そういう印象があって。
『長嶋茂雄は天才型』、チームメートからもそんな印象で見られていた長嶋茂雄さん。しかし、そんな印象が覆る出来事が、遠征先であったといいます。

元巨人軍投手 横山忠夫さん(75):
長嶋さんと堀内(恒夫)さんが一緒の部屋で、(堀内さんが)遅くに帰ってきて、もう長嶋さんが寝ておられたんで、そっと隣に寝て。
ようやく自分が寝たなと思った時に、頭の上にブンッブンッと音がするんだ。そうしたら長嶋さんが夜中に起きてバット振り始めたの「俺はトイレもいけないよ。お前、頭の上でバット振っているから」っておっしゃっていましたけども。
(長嶋さんは)人の見ていないところでそういうことをやる方。実戦でチャンスに打つのが本当のスターで、(普段の努力を)やってるぞと見せるのはスターじゃない。そういうところが“大スター”であり、“雲の上の人”って感じなんですよね。
監督としての“観察力”
「メークドラマ」で日本中を沸かせた、1996年。このシーズンにピッチャーとしてチームの勝利に貢献したのは、「げんちゃん」の愛称で親しまれた河野博文選手です。
元巨人軍投手 河野博文さん(63):
(長嶋さんに)「河野」って言われたことはないんですよね。巨人に4年間いた間に、一度も言われたことがない、審判に「ピッチャー交代 げんちゃん」って言うぐらいなので。
長嶋監督は、投手交代を告げる際も名前ではなく愛称である「げんちゃん」と伝えるため、審判を混乱させてしまう場面があったといいます。
一方で、その観察力に驚くことも…。
元巨人軍投手 河野博文さん(63):
(長嶋監督は)自分で予測するんですよね。「ピッチャーが次に打たれる」「ほら打たれた!」とか、そんなこと予測しちゃって。びっくりしましたね。

引退後は、農家に転身した河野さん。自慢の玉ねぎを長嶋さんの家に届けるなど、親交が続いていたといいます。

元巨人軍投手 河野博文さん(63):
(タマネギを)監督からも注文してもらって。「毎日もりもり食べておいしいよ」と言ってくれたりしていたので、「おいしい」って言われるだけでうれしかったです。そこまで気にかけてくれてたのかなって、やっぱりすごい監督だったと思います。
(『サン!シャイン』 2025年6月4日放送より)