12月11日、カーリングのミラノ・コルティナ五輪最終予選・プレーオフで、女子日本代表「フォルティウス」がノルウェーと対戦。接戦の末、勝利を掴みました。
長年チームを引っ張ってきたのは、司令塔・スキップの吉村紗也香選手(33)。
今年(2025年)9月、自身5度目の挑戦で初めて日本代表として五輪に挑戦する権利を得ていました。
司令塔 吉村紗也香選手(33):
このメンバーでオリンピックの出場権をかち取ることができて本当にすごくうれしい気持ちです。あっという間の4年間だったんですけど、本当にその中でもつらい時期だったりとか、このメンバーで一緒に、それを味わいながら、乗り越えて来たメンバーなので、「絆」もそうですし…。
チームメートである小林未奈選手からも「紗也香ちゃんが最後にショットを決める人で、チームを引っ張ってくれる存在。粘り強さ、諦めない気持ちをずっと持ち続けてくれている」と称される、吉村選手の“粘り強さと勝負強さ”の原点はどこにあるのか?
『サン!シャイン』は、吉村選手の小学生時代からの友人を取材。
自らもカーリング選手だという幼なじみが語ったのは、吉村選手が“大きく変わった瞬間”でした。
5度目の挑戦前に訪れた“転機”
カーリングが盛んな北海道北見市で生まれ育ち、高校時代には代表決定戦に出場する活躍を見せていた吉村選手。
吉村選手の幼なじみ グランディール 石垣真央選手:
決して口数は多い選手ではなかったんですが、カーリングではコミュニケーションがとても大事なので、そう言った事を意図的に意識して取り組んでいるようには見えました。
やっぱり、上を目指したい気持ちが伝わってきました。
そう話すのは、吉村選手の幼なじみで、「グランディール」に所属するカーリング選手の石垣真央さん。二人は高校・大学と同じチームに所属し、共にあと一歩のところで涙をのんできました。
グランディール 石垣真央選手:
このメンバーで(五輪に)行くことができなかったことで、みんな悔しくて泣いていましたし、すごく残念な気持ちがありました。
学生時代には果たせなかった“夢”。
大学卒業後、女子カーリングチーム「フォルティウス」に入団した吉村選手の前に立ちはだかったのは、五輪で2大会連続メダルを獲得したライバルチーム「ロコ・ソラーレ」でした。
そして5度目の挑戦となる2025年9月、ロコ・ソラーレに競り勝ち、五輪代表を目指す日本代表となったのです。
実は、5度目の挑戦を前にした2023年12月に吉村選手は大きな転機を迎えていました。第一子を出産したのです。
グランディール 石垣真央選手:
当初は、このまま引退しちゃうんじゃないかと思って、ちょっと不安になって吉村選手に直接連絡を取ったことがあるんですよ。
その時に、「やっぱり上を目指したいし、今後も競技を続けられるようにしっかり態勢を整えてまた戻ってきたい」と話していて。
その言葉通り、出産後わずか2カ月で練習に復帰したという吉村選手。
幼なじみの石垣さんは、出産の前と後で大きな変化を感じたといいます。
グランディール 石垣真央選手:
(吉村選手は)もの静かなタイプではあるんですが、(出産後)ちょっとひょうきんなところができたなとは思いました。
“母”となって見えてきた変化。
その変化は、長年、吉村選手を見守ってきたカーリング関係者たちも感じたといいます。
元カーリング男子日本代表 廣澤壮汰さん:
「母になった吉村沙也香は強し」ってカーリング関係者は言っていますね。守るものができた責任感とかが、いいように作用したんだと思います。
吉村選手は本当に苦労人で、5度目の挑戦って、4年に1回の五輪で20年。もう高校の時から実績を残されている方なので、カーリング関係者みんな、自分も含めて「よく行ってくれた」と。「吉村紗也香が五輪に行かないカーリングはおかしい」くらいの、絶対に1回は行かなきゃいけないって方だったので、関係者みんなで「頑張れ」と。
試合後、吉村選手は次なる目標について、「私たちの目標にしている五輪金メダルというところに向かって、このチームでまた準備をしていきたい」と話しました。
(『サン!シャイン』 2025年12月12日放送より)
