<一穂ミチ(小説家)コメント>
わたしたちのカラフルな色眼鏡が
「疑われる人」を「疑わせる人」に変えてしまう。
報道自体が、裁きを待つまでもないひとつの罰になっている現状に、
自分も加担しているのだと思い知らされた。
信じる側にも疑う側にもそれぞれの正義があり、
両者の狭間でか細く上がる当事者の肉声を丁寧に掬(すく)い上げた
記者の真摯さも確かにひとつの正義だった。
わたしたちのカラフルな色眼鏡が
「疑われる人」を「疑わせる人」に変えてしまう。
報道自体が、裁きを待つまでもないひとつの罰になっている現状に、
自分も加担しているのだと思い知らされた。
信じる側にも疑う側にもそれぞれの正義があり、
両者の狭間でか細く上がる当事者の肉声を丁寧に掬(すく)い上げた
記者の真摯さも確かにひとつの正義だった。