梅沢富美男さん主演、土ドラ『浅草ラスボスおばあちゃん』は、日向松子(梅沢)が、失敗したり、空回りしたりしながらも、体当たりでキュートにハートフルに問題を解決。松子自身も、老後の孤独や人生の意味に向き合いながら少しずつ成長していく、人情味あふれる痛快リスタート物語!

<試写室>『浅草ラスボスおばあちゃん』第5話

このドラマのアイデンティティは、主人公がおばあちゃんだというのに、その年の功による“ありがたみ”でもってすべてを突破しないこと、なんですよね?(急に)

ましてや今作は『浅草ラスボスおばあちゃん』という強烈タイトルかつ、主演が梅沢富美男さん、なうえでの、“おばあちゃん”なわけですからね。そんじょそこらのおばあちゃんとはわけが違うんです。

とにかくなんでもいいから、なんかそれっぽいこと言って、適当に啖呵(たんか)切って、なんならそれっぽくなくても、とりあえず大声でしゃべってれば、誰も文句言わないし、納得するし、屈服するし、ひれ伏すわけです(なわけない)。

いわば『浅草ラスボスおばあちゃん』は令和の水戸黄門であり、梅沢富美男さん演じる松子おばあちゃんの存在自体が印籠(いんろう)なわけです。つまり、それくらい、このドラマの土台は“仕上がってる”ってことなんです。

だけどだけど、まさか、今作に寄り添っているテーマは?というと…「共存」。性別、年齢、人種や文化、価値観などなど、異なる特性を持つ人々が「共存」する世界を描く――そう、それはまさに、今よくちまたで叫ばれている、ダイバーシティ!

それを、今や性別も年齢も国籍も関係ない観光スポットになった東京・浅草という街を舞台に、「梅沢富美男さんが演じるおばあちゃん」でもって、そのパラドックスでもって「共存」を描く、そんなドラマなのです。

だから、松子おばあちゃんは一人だけ目立ったりしないし、適当なことも言わないし、啖呵も切りゃしないのです。なぜなら、このドラマが描いているのは「共存」なわけですから。いくら松子おばあちゃんのキャラが立ってたとしても、いくらこのドラマの土台が仕上がってたとしても、松子おばあちゃん自身が居丈高で、偉そうに、それっぽい雰囲気だけ、で相手を封じ込めてしまっては「共存」ではありませんからね?

松子おばあちゃんは率先して動くし、図々しいし、ときには迷惑もかけちゃうけど、その都度ちゃんと自問自答して、反省してアップデートもできる。一見、あんな押しつけがましいキャラクターだっていうのに(失礼)、その実、まったく持って押しつけがましくはない。

あの松子おばあちゃんというキャラでもってそんな世界を描くからこそ、『浅草ラスボスおばあちゃん』というタイトルでもってそんな世界を描くドラマだからこそ、だからこそ、このドラマは視聴後感が爽快!!だけではない、妙に立ち止まって考えちゃうし“沁みる”。そんなドラマに仕上がっているのです(結局これ、毎週言ってるけど)。

おっと、ここまで妙に熱くなって、「共存」とか、こっちがそれっぽいワードを使っちゃって今作を評論しちゃってましたが「共存」「ダイバーシティ」とか言ってるのは、こっちだけ、僕だけの話で、このドラマはそんな堅苦しさをおくびにも出さないのです。

むしろ逆にとっつきやすさと、キャラドラマなのか?という安易さでもって門戸を広げつつ、とはいえだけど、なんだか見ると、思ってたのと違う…いい意味で全然違う…ラスボスおばあちゃんではあるんだけど、その響きから想像する強引さはない…なおかつ、別に凝りに凝った話でもないし、伏線が張り巡らされた気の利いた展開でもない、しかもこのセリフめっちゃくっちゃいい!!ってわけでもない…ないんだけど、なんでかは、わからないんだけれど、満足度は高い…とどのつまり、結局、やっぱり“沁みる”(この言葉しか出ない語彙力)ドラマ、なのです!!