<設楽統 コメント>

この30年、日本ではいろいろなことが起きて、大きなうねりがあったと思いますけど、その中で『ザ・ノンフィクション』は“個”にスポットを当てて人間の機微を垣間見てきたんですよね。

収録では、それぞれの人生について、もっとしゃべりたかったし楽しかったですね。本当に、あっという間に終わっちゃいました。東野さんと番組をやる機会もそんなにないので、すごくありがたい経験でした。やっぱり、さすが東野さんでした。物事をよく見ているし、見方が面白い。『ザ・ノンフィクション』で撮られる側になっても面白いような人だから、一緒にやらせていただいて楽しかったです。

何なんでしょうね、ドキュメンタリーって。膨大な時間をかけて撮っても、編集するので見えてるところはほんの少しなんでしょうけど、やっぱり自分と違う人生をのぞかせてもらうのが楽しいというか。

なかには、壮絶な人生を歩んでいる人もいて、見ると自分も気持ちが落ちることがあるけど「それがこの時代なんだ」「現実なんだ」というのもわかったりして。リアルだから面白いんですかね。いろいろな生き方の人が集まって社会になっていて、自分もほかの人もその一部でしかなくてってことを考えますね。

不器用ではあるけどけなげだし、真っすぐで、まさに主題歌『サンサーラ』の“♪生きて~る、生きている~”。生きているんですよね、みんな。そういう感覚がある作品というか、真っすぐ生きている姿を見るのが好きなのかなぁ。面白がり方もいろいろですけどね。

俺は、ドキュメンタリーほどの長尺でカメラを回されたことはないですが、“裏側を撮られる”ことはたまにあるので。そうすると絶対、平常心じゃない部分が生まれてくるというか「見られているんだったら、こうしたい」っていう気持ちが生まれるんですよ。だから、素の自分を100%出している人って実際どのくらいいるのかなとか、そういうのが気になっちゃうんですよね。カメラとか、ディレクターさんを全然気にしないで素を見せているんだろうなって感じる人もいます。

本当に大変な労力だろうし、今の時代、効率で考えたら“悪い”と思うんですよね。何百時間ってカメラを回して編集して…。しかも、何が起こるかわからなければ、ゴールもわからない。先へ進むしかない。でも、放送を見た人の人生が変わる可能性があるし、撮られている人も撮っている人も、人生が変わるかもしれない。そういう、すごいものが生み出されるかもしれない。

だから、毎週楽しみにしている人は多いと思うので、「頑張ってください」と言うのは簡単かもしれないですけど、本当それしかないですね。この先も『ザ・ノンフィクション』は続いていくと思うので、僕もまだまだ見ていきたいです。