今年、デビュー25周年を迎えた後藤さん。
モーニング娘。に加入後の生活の変化や、いきなりデビュー曲が大ヒットし、社会現象にもなったことへのプレッシャーについて語ってくれました。

デビュー曲『LOVEマシーン』が社会現象に!プレッシャーは「全くなかった」

1999年、たった1人の3期メンバーとして、13歳でモーニング娘。に加入した後藤さん。
当時、中学生にも関わらず“金髪”というビジュアルが世間でも大きな話題となりました。

――モーニング娘。加入後の生活はどう変わりましたか?

とにかく毎日バタバタでしたね。ちょうど中学2年生の夏休み中にオーディションが始まって。
のんびりとした学生生活を送っていたので、「この夏はちょっとギャルが流行っているから、ギャル楽しむぞー!」くらいの勢いの年だったんですよ。

それでオーディションに挑んで、なぜかどんどん第2次審査、第3次審査…4次、5次と進んでいって、最終的に合格をもらえて。次の日くらいから、ジャケットやカレンダーの撮影に向けてのフィッティングなど準備が始まったり、2日後には撮影でメンバーと対面したり、そういうスピード感で毎日が進んでいきました。出会う人出会う人が初めましてですし、すごく新鮮でしたが、とにかく忙しかったなという記憶はあります。

途中でグループに加入するということもあって、既存の曲を覚えたり、ライブの振り付けを付けてもらったり、新曲のレコーディング、新曲リリースに向けての取材などが一気にあったので、毎日何をやっているのか分からなくなることもありましたね。どこかに行く時も、その場所は初めて。当時は地図をもらって電車で行っていたので、「ここはどこ?」という状態がほぼ毎日でした。

そんな後藤さんのデビュー曲である『LOVEマシーン』(1999年)は、これまでのモーニング娘。のイメージとはガラッと変わり、曲は大ヒット。グループ初のミリオンを突破し、社会現象にもなりました。

――後藤さんのデビュー曲『LOVEマシーン』は、これまでのモーニング娘。とはガラッと印象が変わった楽曲でしたが、最初にデモ音源を聴いた時はどう思いましたか?

なんじゃこりゃ〜〜!でしたね。私が入る1つ前のシングルが『ふるさと』だったんですよ。

なっち(安倍なつみ)がセンターで歌って、他のみんなはコーラスという曲だったので、そこから『LOVEマシーン』が来るということも衝撃じゃないですか。なので、「ディア〜〜〜!」とか「Wow Wow Yeah Yeah」とか言ってる!と衝撃しかなかったですね。「つんく♂さん、どうしたんだろ…」って(笑)。

それまでのモーニング娘。の曲は、大人っぽかったり爽やかだったりとかはありましたけど、はっちゃけた曲はなかった印象なので、他のメンバーも新鮮だったと思います。

――そんな『LOVEマシーン』がいきなり社会現象になりました。プレッシャーだったり、怖さみたいなものはありましたか?

全くなかったですね。
曲を出したらランキングが付けられることも知らなかったので、『ASAYAN』(テレビ東京)の番組の中で、「オリコン1位です」と伝えられた時のメンバーのリアクションを撮るシーンがあったのですが、みんなはすごく泣いて喜んでいる中、私はひとり「はて?…私も喜んだ方がいいのかな?」みたいな感じでした。

どうにもこうにも謎な空気感にしか思えなかったんですよ。ランキングが大事だということも、その時初めて知りましたし、ミリオンという言葉も初めて知りました。全てが初めてすぎて、何が起きても「? ? ?」のような状態でしたね。


 

デビュー後、忙しさは感じていたものの、意外にも社会現象となっている実感がなかったという後藤さん。
最後に、2002年の卒業後に「この曲歌いたかったな」と思ったモーニング娘。の楽曲があるか伺うと、「リハで見た楽しそうなパフォーマンスが印象的だった」と“ある曲”を挙げてくれました。