最終回のキーポイントは「シェアハウス」

そして、その“やさしい世界”をそのまま残すことに成功した、最終回のキーポイントは何か?それは、「シェアハウス」でしょう。

このドラマ、キャラクターだけでなく、設定もある意味突飛なんですよね。だって、こんなにとびきりキャッチーなおばあちゃんを主人公にするならば、別にシェアハウスに住む必要性ないじゃないですか。逆に、おばあちゃんを引き立たせるには、その奮闘を際立たせるには、シェアハウスっていうその設定自体が邪魔じゃないですか。

なのに、なぜかラスボスおばあちゃんはシェアハウスに住んでいる…。その理由は、さまざまな人が訪れ共存する浅草という街の縮図を、あのシェアハウスの中で表現してみせた…ってことがこれまでの物語の中でさりげなく描かれてきたわけですけど、それに加えて最終回では、そんな浅草の縮図でもあるシェアハウスという場所がなくなる?立ち退きを命じられる?という、新たなフェーズを加えることで、このドラマの中でわざわざ用意された「シェアハウス」に新たな意味を加えてくれるのです。

さらにその意味を考えていくと、このドラマが本当に描きたかったこと…が見えてくる?…ような…こないような?(どないやねん!)…いやでも、なんだか、きっとわからなくても、その奥底で“何か”を感じられる…そう、それこそが“深み”!!を発見できるのです。

おばあちゃんは何のためにあのシェアハウスに導かれ、何を手にしたのか。そして、そんなおばあちゃんたちのシェアハウスはどうなってしまうのか。その逡巡(しゅんじゅん)を経て、おばあちゃんや森野さんたち、住民はどんな未来=結末を迎えるのか…乞うご期待です!

悪党を大成敗!!一件落着!!では決してない、なんならおばあちゃんは何もしてない…やっぱりいつものように、振り返るとおばあちゃんって、何してたんだろう?という感じなんだけれど、なぜかちゃーんと決着して、あの“やさしい世界線”のまま、このドラマらしさ全開のまま終わっていきます。

で、最終回終わって改めて振り返ってみると、あの松子おばあちゃんを演じていたのが梅沢富美男さんなんだよな…という戸惑い(!?)。

当初思い描いていた、おばあちゃんが梅沢富美男さんというあの違和感は、第1話の5分も経たないでなくなってしまって、最終回の最後の最後まで、おばあちゃん=梅沢富美男さんという、どうしたって違和感しかない違和感を、まったく微塵も感じさせないでいてくれた梅沢富美男さんの途轍(とてつ)もなさ…。

そんなことも含めて、いろんな意味で、いいものを見させていただきました!