『ミッドナイト屋台~サマービーチ編~ショ・ギョウムジョウ』制作希望!!

そして、ここまでを見届けて、ようやく気づく…。

このシーズン2、最初の方は、シーズン1の最大の骨だった「境内で屋台を出す」が「地下駐車場で屋台を出す」に変わってしまって、どうなることかと思ったけれど、結局“一つ星を獲得すること”そのものがゴールだったわけではなかったんだな…と。

一つ星を獲得したことで生まれたのは、成功だけじゃない。あまりに調子にのった2人の間には、ささやかな不和も生まれる。

そして、その2人の様子を傍から見ていた桂華(浅野ゆう子)は、その不和すらも、2人が成長するためのきっかけとして、うまくコントロールしていた。

御崎(小手伸也)の一件もそう。桂華は、2人のことを思って、ずっと動いていた――。

つまり、翔太と輝元は、ただ自分たちが成長していく主人公なのではなく、その生命力とそのカップリングの妙と、その唯一無二の存在感によって、周りの人間まで生かしていく存在だった…んだけど、それと同時に、人は1人では生きられない。誰かのためにご飯を作ることで、その誰かを元気にする。誰かの人生に寄り添うことで、その誰かを生かす。でも、そうやって誰かを生かしているように見える人間もまた、誰かに生かされている…。

翔太と輝元も、そう。自分たちが誰かにご飯を作ることで人を生かしているように見えて、実は、自分たちもまた、誰かに支えられ、誰かに背中を押され、誰かに生かされていた…んだね。

で、そんなことを、ちっとも普通に描かないで(だから褒めてるよ?)こんなにもハイテンションに、こんなにも能天気に、こんなにも狂乱した最終回の中で、さらっと描いてしまう。

…いや、もう、何なの、このドラマ(褒めてます)!!!

「誰かのための料理を作る」という、ものすごくシンプルな行為を通して、人と人がつながっていく。その哲学を、大げさに語ることなく、むしろ語らないで、いやむしろそれが人生だ!というように、無駄なもの満載で見せてくれた『ミッドナイト屋台』。

そしてラスト、輝元がついにカメラ目線で喋っちゃうという、トンデモメタ演出までぶっ込んできちゃってさ…もう、最後の最後まで、このドラマらしさ全開。

で、そこで冗談っぽく輝元が言ってたけど、屋台の海の家バージョン…『ミッドナイト屋台~サマービーチ編~ショ・ギョウムジョウ』(タイトル下手か!)を、来年夏に、スタートすればいいよね!!!?