社会現象から一転、60億円の損失。本郷さんが「もう再浮上できない」と考えていた『たまごっち』に5年後、第2次ブームが訪れます。そして本郷さんは、ロングヒットを確信する光景を目の当たりにすることに…

第2次ブームへ 確信したロングヒットへの道

人気が停滞していた『たまごっち』に再びブームが訪れたのは、2004年。

赤外線通信機能が搭載された『かえってきた!たまごっちプラス』がヒット。本郷さんは子供たちが近所で遊んでいる姿を目の当たりにし、「これは大事に育てればロングラン商品になる」と確信しました。


本郷さんはその後、2006年にバンダイの取締役を退任。仕事として『たまごっち』に直接関わることはなくなりましたが、最近では親族の女の子が最新機種を欲しがる様子を見て、世代を超えて積み上げられてきた人気の高さを痛感しているといいます。

『たまごっち』の30年「魂を揺さぶる商品が作れた」

「『たまごっち』という名前を知らない人はいない。それだけ多くの人の魂を揺さぶる商品が作れた、そして自分がそこに携われたというのは、いま考えても感動する」(本郷さん)

『たまごっち』が作り出した“唯一無二の世界観”を巡っては、様々な逸話が残されています。

本郷さんによると、過去に「生と死を弄んでいる」として、ローマ・カトリック教会から“輸入禁止のお触れ”が届いたこともあったといいます。

また、幼稚園の女の子がお世話をして死んでしまった『たまごっち』をデバイスごと庭に埋葬してしまった、という象徴的なエピソードもありました。

本郷さんはこれらの話を聞いたとき、「『たまごっち』は最早、単なる“おもちゃ”と呼べる存在ではなくなってしまった」と感じていました。

今後の『たまごっち』への思い 守るべきもの

時代に合わせた様々な最新機種、そしてリバイバル商品。これまでに多くの『たまごっち』が世に出てきましたが、本郷さんは「当初のコンセプトを守り続けてくれてありがたい」と古巣に感謝しています。

初代『たまごっち』を手にする本郷さん


スマートフォンやPC、ゲーム機など、身の回りの電子機器は目に見える形で日々進化を遂げている中、『たまごっち』は卵形のデザインや、お世話をするというコンセプトが、いつの時代も変わりませんでした。

誕生から30年目を迎える思いを聞くと、「担当している社員の子たちは、何を大事にすべきかしっかり分かっている。正常に進化させてくれると思うので、お任せしたい」。

時折笑顔を見せながら、開発当時の思い出話を振り返った本郷さん。

社会やトレンドは大きく変わっても、奮闘した開発者たちの思いは30年の時を超え次世代へとしっかり受け継がれているようでした。