劇作家・末満健一さんが手がけるミュージカル『キルバーン』。
9月28日(日)に東京公演の最終日、10月2日(木)〜5日(日)に大阪公演での千穐楽を控える中、主人公の不死卿ドナテルロ役を務めるSOPHIA・松岡充さんと、用心棒・ダリを演じるCHEMISTRY・堂珍嘉邦さんがインタビューに答えました。

「堂珍くんと僕とが歌ってバトルするなんて」
SOPHIA・松岡充×CHEMISTRY・堂珍嘉邦インタビュー

――ミュージカル『キルバーン』は2020年の上演予定がコロナ禍により中止となった経緯があり、今年、満を持しての完成となりました。

松岡:
はい、2020年に中止になってしまったことで、当時、末満(健一)さんが『黑世界』という音楽朗読劇を新たに創り上げたんです。そこで僕はシュカという役を演じたんですが、今回はドナテルロという、また別の役なんですよね。どちらもTRUMPシリーズとして地続きの世界線であるわけで、僕は一度シュカとしてその世界で生きていたから、今回もシュカでいいんじゃないかと思ったんですけど(笑)、いや、今作ではドナテルロでと。ドナテルロはすでに過去作で存在していましたし、なぜシュカじゃないんだというのはありました。

堂珍:
僕が演じるダリもそんな感じですよね。

松岡:
一体どういうこと!? ってなるじゃないですか。末満さん、そういうヒヤヒヤさせるのが好きなんでしょうね(笑)。TRUMPシリーズ15周年のときの『繭期極夜会』で、となりに細貝圭くんが演じるドナテルロがいたんです。僕はそこにシュカとして参加していたんですが、次に『キルバーン』で演じる役がドナテルロというのもわかっていたので、いったい自分はどういう気持ちでここにいたらいいんだ!? と悩みました。思わず、細貝くんに「ドナテルロなんだよね?」と確認したんです。「はい! ドナテルロです!」と元気よく返ってきたので、末満さんに「ドナテルロここにいますよ? でも僕も次、ドナテルロなんですよね?」と聞いたんです。そしたら「いいんです、いいんです、全然大丈夫ですから!」って。末満さんがそう言うのなら、これは明確な理由があるのだなと。

堂珍:
それは複雑な心境ですね(笑)。僕は今回の出演が決定するまでTRUMPシリーズのことは知らなかったのですが、今作への参加は松岡さんが出演されるというのが決め手でもあったんです。松岡さんとは以前、一度映画(2014年公開『醒めながら見る夢』)で共演したことがあり、自分が30代前半くらいで舞台、ミュージカルの世界に入り始めて、そこで、松岡さんが自分よりも先にその道に入られてコンスタントに出演されているのを見てきたから。音楽活動とバランスよく両立されている印象でしたし、松岡さんの歩まれている道筋で、いつか僕が同じ役をやることもあるのかもしれないと、勝手にご縁を感じていたんです。あとは吸血鬼というワードが魅力だったので、きっかけは松岡さんと吸血鬼です。

松岡: 
あんまり吸血鬼っぽい場面はないけど(笑)。でも僕も堂珍くんの名前が入ってたのを見たときはときはうれしかったし、ヴァンパイア似合うわ〜って思っていました。

――熱狂的なファンを持つTRUMPシリーズと今作の魅力について、どのように感じていますか?

松岡: 
僕は最初に、末満さんがTRUMPというものをどういう想いで始めたのかを聞いていて、そのクリエイティブな世界観には大いに賛同できたんです。ただ、TRUMPの世界地図の中でも、この『キルバーン』という作品はちょっと異色な感じで。ビジュアルイメージにしても、これまでのTRUMPはモノトーンな感じのイメージだったと思うんですが、なんだか極彩色だし、えぇ!? となったファンの方もいたと思うんですよね。末満さんいわく、もしこの『キルバーン』の上演が叶わなかったとしてもTRUMPシリーズというものは今後も展開していく。だけど『キルバーン』という独自の作品性のものは今後存在し得ないし、他でこのカラーはもうやらないだろうとおっしゃっていた。そこで僕が思ったのは、TRUMPシリーズって、メインの大陸がドン! とあって、そのまわりにいろんな島があるんじゃなくて、様々な島があって、TRUMPという世界地図になっているんだなと。その上で、この『キルバーン』というのはまた特異な大陸なんじゃないかという印象です。

――そういったシリーズの想定を覆すような、新しい作風に関わることについて、怖さやプレッシャーは?

松岡:
いや、むしろそういうのがないと僕は嫌ですね。末満さんの作品、クリエイティブの魅力ってそこだと思うんですよ。これは代々いろんな人がやっている人気の作品なんです、というような出来上がった枠組みのものではなくて。しかも、これは松岡充じゃないとダメだし、「松岡さんがやらなかったらなくなっていたものだった」とはっきりと言ってくれた。『キルバーン』は末満さん視点での僕、そして堂珍くんへの当て書きで、僕らじゃないとできないもので。僕はどんな作品でも出演のお話があったときは必ず、「なぜ松岡充なんですか?」って聞くんですよ。もともとミュージカル俳優ではないし、他の誰かでもいい役なら、僕がやる意味はないと思っているので。

堂珍:
僕もプレッシャーとかは特になかったですね。松岡さんが言っていたように、他の誰がやっても成立するというよりは、自分がやる意味みたいなのはあったほうがいい。新しいこと、従来からの脱却や挑戦のほうがモチベーション的にも高まります。

松岡:
すでに他の人が演じているドナテルロ問題にしてもね、同じ人間がやらなくて大丈夫かと末満さんに確認したんです。そうしたら、思っていたものを裏切るくらいの展開があったので、やっぱり末満さん、面白いなぁと。ダリに関しても、一体どうひもづくんだろうと思っていたし。

堂珍:
ダリという人物は、過去作にもたくさん出ていますよね。分家とあったので、同じことをしなくていいというか、自分の思う感じでやれるだろうし、自分が呼ばれて意味がある部分を出せたらいいなと。

松岡:
僕は『黑世界』で鞘師(里保)さん演じるリリーとご一緒したので、今回はリリーのキャストが変わったこともまたややこしいんですよね(笑)。でもこのややこしさも、TRUMPの面白いところでもある。

――ライブのステージで歌うこととは違う、今作で役として歌で表現することに対する難しさはありますか?

堂珍:
めちゃくちゃ難しいです。マイクを持って歌うシーンがあって、それが騒がしいナンバーならともかく、シリアスなナンバーでマイクを持って歌うっていうのがね。マイクなしで、お芝居として両手を自由に使えて全身で表現するパターンはないのか、マイクありというのは揺るぎない感じなのかと末満さんに相談してみたのですが、やっぱりマイクなしはないみたいで。古畑任三郎シリーズで、番組の中のMCでスポットライトが当たってしゃべり出すナレーションの場面、あそこでマイクが加わっている感覚だと説明されたんです。そこは崩したくないし、歌の世界の人がマイクを持って歌うという説得力は役者にはないものだから、ぜひやって欲しいと言われて、そんなふうに言われてしまったら、もうやるしかないなと。

松岡:
マイクを持つんだったら、自分のパフォーマンスで世界を創りたいってなるものだからね。ライブでも、ただ突っ立って歌うってことはしない。空間のすべてを自分で創るパフォーマンスが、マイクを持つ者が表現する歌なんです。だけど舞台ではダンサーや共演者がいる。役割としては、マイクを持って歌うだけで成立してしまう。それがなんかムズムズしてしまって気持ちが悪いというか。ステージにいる方たちはみんなプロフェッショナルで、すごい表現をしてくださるんですけど、マイクを持つ歌い手の感覚としては、マイクを持ってしまうと“俺のアクティングエリアをくれ!”となってしまうんだよね。

堂珍:
第三者からすると、松岡さんのまわりにダンサーさんの踊りがあるっていう要素自体が、すごくフレッシュなんですよね。その構図込みでワクワクするというのはあるんですけど。

松岡:
だから『TRUE OF VAMP』なんかは、現段階ではまだどういたらいいのかが掴みきれていない。ダリ(堂珍)がひとりで歌い上げるんだったらわかるんだけど、みんながこう見ているでしょう。どこを見ていいかわからず、最初はずっと裏を見てたくらい。

堂珍:
わかりやすく言うと、歌番組の『ミュージックステーション』みたいな状況なんですよね。すぐ近くに同業者(アーティストやバンド)がいて、その目の前でパフォーマンスしなきゃいけないような。

松岡:
照明のプランがどうなのかは現時点でまだわからないけど、堂珍くんの、ダリの歌の世界に入ろうとしても、まわりの人たちが見えてしまうっていうのがライブとの大きな違いで。後半でもまわりでみんながノリノリで、みたいなシーンがあるけど。

堂珍:
マイクを持って歌うけれど、ライブで歌うのとはまったく違うところでの辻褄を合わせるのにはまだ慣れていないです。アッパーな曲なら僕はまだ大丈夫なんですけど、シリアスな曲のときは、極力後ろの人のことを意識しないようにはしています。まだ詰めている途中ですし、このすり合わせ自体が楽しいっていうのもありますけどね(笑)。

松岡:
舞台でマイクを持って歌うこと自体、僕はこれまでも結構あったんです。マイクを持たせたら出てくるパワーが、やっぱり他の役者とは違うというのを期待されてやってきた。何千、何万人を前にしたライブで、歌とパフォーマンスで世界観に一気に連れていくというのをやってきた人間が、マイクを与えられたのにそれができない状況なわけです。マイクを持たず、ストーリーの中でキャラクターとして歌うっていうのももちろんやってきたけど、今回はそのどちらでもないっていうね。

堂珍:
末満さん、第四の壁っておっしゃっていましたよね。

松岡:
そう、いわゆる「異化効果」。ブレヒトが提唱する演劇的な技法で、ストーリーに没頭させずに観客として我に返る瞬間を生み出す。先ほどの古畑任三郎のナレーションに当たる部分、それがマイクを持つ歌唱の部分だってことなんだよね。その違和感というのを作りたいと言っていたんです。

――その曲数がとにかく多い。

松岡:
全部で27曲。しかも歌詞に、ほぼリフレインがないんです。それも末満さんカラーなんですが、正直、今はヤバいなって思っています(笑)。

堂珍:
わかります。松岡さんのドナテルロ、めちゃくちゃ曲数多いですもんね。

松岡:
観客との距離感に関しても、まだ探っている途中ではあるんです。ライブ感で言ったら、全員総立ちでうわーっと盛り上がるのもひとつの理想というかイメージではあるけれど、演劇として劇場でやる作品ですから。ライブハウスではないので、着席しながら心の中で立ち上がって盛り上がってもらえたらと。僕らと同じ館の住人になって、一緒に盛り上がってもらえたらと思います。

堂珍:
煽る場面もありますし、お客さんとの会話もありますからね。

――どこからでも一度味わったら、過去作を見て深く知りたくなるTRUMPシリーズですが、ハマる要素はどのようなところだと思いますか?

松岡:
演劇界の大河ドラマみたいな感じですよね。TRUMPに関わった人たちって、出身校が一緒みたいな、なにかつながりみたいなものがあるでしょう。世界も人もどんどん広がっているので、集まったらすごい力になる。そんな中でも僕ら『キルバーン』組、結構特異だよね(笑)。堂珍くんと僕とが歌ってバトルするなんて、音楽でもやっていないことを演劇でやるなんて、おもしろすぎる。

堂珍:
末満さん、「闇鍋みたいだ」と言っていたんです。どういうことだろう? と思っていたんですが、作品にまず中世ヨーロッパ風の世界観があって、そこに吸血種が存在する。繊細な心の機微が交錯し、ときに同性同士の特別な絆が描かれる。さらに、殺陣、アクションもあり、今回はライブの要素まである。とにかくうまいものがずらーっと並べてあって、どの場所からでも惹かれてしまうのではないかと。そういう、色々な要素をミックスした美味しさがあるんじゃないでしょうか。

松岡:
しかも純国産の完全なオリジナルでね。これは世界に打って出られるものだと思うよ。日本から生まれた独自の作品として、僕らとしてもしっかりと伝えていきたいよね。

――繭期は人間で言うところの思春期ということで、おふたりの思春期を振り返ってみて、ちょっと恥ずかしい思い出エピソードも。

堂珍:
高校時代、教室という空間が苦手で、席も一番うしろの端っこじゃないと嫌な時期があったんです。よく学校をサボったりもして、ふらっと顔を出すとみんなに「久しぶり!」とか言われていました。当時つき合っていた彼女にも怒られ、蹴りを入れられたりして(笑)。自意識もそれなりに強かったなぁ。

松岡:
わかるよ。僕も人と同じが嫌だったし、バンドやるなんて自意識の最たる発露だった。今でも夜中にバイクで大きな音出している人たちがいると、うるさいなぁと思いつつ、自分も同じようなことをしていたんだよなぁ、若さのあまり迷惑を省みずだったなぁと思ったり。今ではそんな風にちょっと寛大な気持ちになったりしています(笑)。

                                  (撮影=岩田えり)

ミュージカル『キルバーン』
2025年9月13日(土)〜28日(日) サンシャイン劇場
2025年10月2日(木)〜5日(日) 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ