「ちょいとまて 注意一秒けが一生 注意注意でやすむひまなし」
こんなユニークな解説(狂歌)が添えられた写真展が開催されているのを、みなさんはご存じでしょうか?手掛けたのは、世界的に著名な現代美術作家・杉本博司さんです。筆者も期待を胸に、会場の東京国立近代美術館へ行ってきました。
展覧会のタイトルは『杉本博司 絶滅写真』。今や、建築や舞台芸術まで幅広い分野で活躍する杉本さんの原点は「銀塩写真」です。銀塩写真とは、光に反応する銀塩化合物を塗布したフィルムや印画紙を使い、化学反応によって像を定着させる技術のこと。写っているものを自由に消せるデジタル時代にあって、まさにその“絶滅”が危惧されているといいます。
厳格な銀塩写真が絶妙な狂歌のユーモアで躍動
1970年代にロサンゼルスの美術学校で写真技術を学び、ニューヨークに移り住んだ杉本さん。当時はアートとしてまだ二流扱いだった写真を「一流の芸術にしよう」と発起します。その斬新な試みの道のりをたどると、写真をアートへ進化させてきた現代美術作家としての素顔が見えてきます。
《類人》1994 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本さんはまず、ジオラマを写真に収めて人類史を再現しようと試みました。これが後にライフワークとなる〈ジオラマ〉シリーズです。二足歩行する類人猿の模型を撮影した《類人》は、まるで2頭の原人が実際に歩いているかのように見えます。
この写真の解説の最後には、次の一句が添えられています。
「立ってみた腰は痛いし肩こるが もろてをあげてやったぜ万歳」
その意味するところはぜひ会場で確認していただくとして、もともと自ら解説文を書く予定だった杉本さんは、展覧会の2ヵ月前に「何か面白くしたい!」と思い立ち、すべての作品に狂歌を添えることにしたそうです。
狂歌とは、和歌と同じ形式でありながら、皮肉や言葉遊びを盛り込んだパロディ歌のことをいいます。
《ゴリラ》1994 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本さんは今回、初めて「素遁卿(すっとんきょう)」という名で作品一つひとつに狂歌を詠みました。「素っ頓狂」に由来するペンネームからして、すでに洒落が効いています! 筆者が〈ジオラマ〉シリーズで一番笑ったのは、《ゴリラ》に添えられた一句。
「ゴリラはんとおい親戚なつかしや くうねるあそぶいまもおんなじ」
厳格な銀塩写真が、絶妙な狂歌のユーモアによってまるで命を吹き込まれたように生き生きと見えてくる――。まさに“杉本マジック”です。しかも場内は写真撮影OK。「この写真にこの一句!」と、帰宅してからも見返して楽しめる趣向になっています。
水平線を挟んだ上下の構図に圧倒!〈海景〉シリーズ
〈劇場〉シリーズは、「映画を写真に撮る」という実験的な試みです。「映画は1秒に24枚の静止画を見せて動いているように見せる仕掛けだから、シャッターを開けっぱなしにすれば白くなるに違いない」と、映画1本分の上映時間、シャッターを開放して撮影したとのこと。なんとも斬新な発想です。
《U.A.プレイハウス、ニューヨーク》1978 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
〈海景〉シリーズの展示空間は、「写真の真骨頂を見た!」と圧倒される見事な構成。「海は空より広い。それは水平線があるからだ。海が水平線の向こうにずっと連なっているように感じられる」と語る杉本さんが、世界各地で撮影した海や湖の写真が暗闇のなかに浮かび上がっています。
水平線を挟んで下半分が海面、上半分が空というシンプルな構成ですが、「1枚1枚、ライティング調整に最後までこだわった」という言葉どおり、その美しさにエリアの入口では「うわ~!」と歓声をあげる来場者の姿も見られました。
一番奥に展示されているのは、展覧会ポスターにも使われている《相模湾、江之浦》(2025)。杉本さんが「1年のうち海に漁船が出ない唯一の日」という元旦に撮影した作品です。そう知って見ると、“デジタルで消去されたのではない”リアルな海が迫ってくる気がします。
《相模湾、江之浦》2025 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本さんは「芸術・文化のノーベル賞」と称される高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者でもあり、Hiroshi Sugimotoの名前は海外にも知れわたっています。それを裏付けるように、展示室に用意されたベンチにゆっくり腰掛け、杉本ワールドに浸る外国人客の姿も目立ちました。杉本さん自身も「来場者が寝ていたり、くつろぐ様子を見て、海景が人を癒やすことを確認できてうれしかった」と話されています。
