門脇小学校では、地震発生時すでに下校していた児童7人が犠牲に。
その中に、一緒に学校の先生になろうと約束を交わしていた、髙橋さんの親友もいました。

「本当にもう会えないんだね」“思い出”につづった親友への思い

津波を受けた町は、がれきや油などから火災が発生。
門脇小学校にも火の手が回り、校舎は焼け落ちました。

取材時、震災遺構となった母校を見て回る中で、展示されていた「クレヨンの写真」の前で足を止めた、髙橋さん。
これが“亡き親友”の持ち物であったことを明かしてくれました。

髙橋輝良々さん:
(初めて写真を見たときは)「ここにその子がいたんだ」と分かる証が、すごくうれしかったんですけど、同時に「もう会えないんだな…」ということも突きつけられて、言葉にできないような複雑な気持ちがありました。
普通なら「燃えなかった教室に残されたクレヨンなんだな」と通り過ぎてしまわれがちな写真だと思うんですけど、私の中では、震災遺構の中で一番大切な写真になっています。

そしてもう1つ、親友との思い出を残すものが。

髙橋さんがこの日持ってきてくれたのは、亡き親友からもらった「鉛筆」。
震災前、彼女と手紙交換をしていたとき、一緒に入れられていたものです。

震災後、髙橋さんはこの鉛筆の細長い側面に、彼女の名前やメッセージをつづっていたといいます。

髙橋輝良々さん:
震災1年目のときに、誰からもらったか忘れないように名前を書いて、「親友だよ」とか「大好きだよ」みたいな言葉を自分で書いたんですけど…
3年生になったときに「もう会えないのかな」っていう気持ちになって、悲しい言葉を書いちゃって…。何を書いたかはもう見えないけど、「本当にもう会えないんだね」みたいなことを書いた記憶があります。
その次の年に「私なんてことを書いちゃったんだろう」と、すごく反省して修正ペンで消しました。

小学生だった髙橋さんの心には、あまりにも重すぎた、大切な親友が亡くなったという事実…。
幼い字で「大好き」と書かれた1本の鉛筆に、その心の葛藤が刻まれていました。
 

さらに、髙橋さんは大人へと成長していく中で、被災した周囲の人々を見て、別の葛藤も抱えることに。

周囲には転校してしまった友人も多く、町は変わり果ててしまったものの、髙橋さんは自宅も家族も無事。
当時置かれていたそんな自分の状況について、髙橋さんは複雑な心境を感じていたといいます。

髙橋輝良々さん:
家族も家も無事だったから、自分は“被災者じゃない”っていう気持ちがすごく大きくて。
やっぱり友達を亡くすのと家族を亡くすのは違うんじゃないかなって思ってしまって。だからって悲しさが自分の中で小さいのかっていうと、そういうわけではないんだけど・・・。

「自分は被災者じゃない」
そんな思いを抱え、あの日以降、震災について自分から家族や友達と話すことはせず、長年心にふたをしてきたという髙橋さん。
追悼行事にも「自分はそこに行っちゃいけない」という気持ちから、足を運べなかったといいます。
 

しかし、親友と約束した「先生になる」夢を叶えるために進学した大学で、髙橋さんの心に転機が訪れました。

髙橋輝良々さん:
どんな先生になりたいかを考えたときに、いろんな先生像がある中で「命を守れる先生になりたい」というのがどうしても頭の中から抜けなくて。
でもそれを簡単に言っていいとは思えなかったから、これまで言えてこなかったんです。
だけど、大学に(震災関連の)ゼミがあるというのを知って、自分もこういう思いがあるし、せっかくだから入ってみたいなと。