2011年3月11日に発生した東日本大震災。
あの日、津波に人が襲われ町が壊されていく様子を葛藤と闘いながら撮影。そして、現在に至るまでの15年間、ふるさとの姿をカメラに収めながら、震災当時の出来事をありのままに伝えている人がいます。
めざましmediaがお話を伺ったのは、宮城・南三陸町で写真屋さんを営む佐藤信一さん。
震災のあったあのとき、感情を押し殺して津波の瞬間を撮り続けたといいます。
あれから15年がたった今、「撮ったことは間違いではなかったのかな」と話す佐藤さんが、葛藤してきた胸中を明かしてくれました。
(※この記事には、震災直後の被災地の写真が含まれます。)
「試し撮り程度に1回撮った写真が…」ふるさとの“最後の姿”
これまでふるさとを撮り続けてきた佐藤さんは、父が始めた写真スタジオ『佐良スタジオ』の2代目。七五三や成人式、結婚式など、地域の人々の節目節目を形ある思い出として写真に残してきた、町の写真屋さんです。
そんな佐藤さんは、あの日を境に様変わりしてしまったふるさと、南三陸の町並みを、15年間、撮り続けてきました。
佐藤信一さん:
もちろん復興は進みましたよ。目に見える復興、形として分かる復興はもう完全に終わっている。
でも、どこで復興の区切りをつけるかは、人それぞれだからね。ずっと追いかけたら、いつまでたっても復興しましたとは言えないだろうけど。人によって様々でしょう。
現在は、震災後に完成した「南三陸さんさん商店街」の一角、震災前に自宅兼店舗があった場所とほぼ同じところに、自身の写真スタジオを構えています。
佐藤さんは自身のスタジオで、『写真の力を信じて』をテーマに写真を展示。訪れた人々に、あの日見た光景を伝えています。
そこには、あの日、“撮って良いものなのか”という葛藤の中撮り続けた、変わり果てていく町の姿がありました。
2011年3月11日、ただ事ではない、強烈な揺れを感じた佐藤さん。津波の危険をすぐさま察知し、『カメラバッグ』を抱えて高台にある小学校に避難したといいます。
当時、カメラを構えたという、町を見下ろすことができる高台に案内してもらいました。
そこで最初に撮ったのが、津波が到達する前の町全体が写された1枚。
佐藤信一さん:
悪いけどなんの気なしに撮った写真です。言ってみれば試し撮りのような感じ。まさかあの町が、数分後にはなくなるなんて思ってはいないので…。試し撮り程度に1回撮った写真が、最後の町並みの姿になっちゃったんだけど…。
佐藤さんはスタジオに、この1枚を含め、その後到達した津波が町を破壊していく様子の写真を、時系列に並べて展示しています。
それぞれの写真に撮影時刻を分刻みで記すことで、訪れた人々に、津波の悲惨さをありのままに伝えたいという思いで。
佐藤信一さん:
今こうやって残っている写真を見て、当時のことを思い出すのと同時に、やっぱり、撮っていて良かったのかなとは思う。
何もないと、伝えるものがない。口だけでは伝わらないから…。
15年たった今でこそ、”撮っていて良かった”と思えているといいますが、そこに至るまでには、長い間 闘い続けた、心の葛藤がありました。
