氷川きよしさんが休養中の心境を明かしました。

12月に福岡と大阪でクリスマスディナーショーを開催し、2026年1月31日から東京・明治座、愛知・御園座、大阪・新歌舞伎座、福岡・博多座で、『氷川きよし特別公演』を行う氷川さん。

2000年のデビュー以来、圧倒的な歌唱力と飾らない人柄で歌謡界を長く牽引してきた氷川さんですが、2022年の年末をもって歌手活動を一旦休止。

そして、1年8ヵ月を経て2024年の夏に活動を再開し、ステージやテレビ出演など精力的に活動しています。休養期間を氷川さんがどのように過ごし、何を考えたのか、さらに、歌への思いや現在の癒やしなど、歌手・氷川きよし、人間・KIINA.(活動再開後の愛称)のいまに迫りました。

氷川きよし 50歳目前で「いよいよこれから」という気持ち

――2023年の初頭から活動を休止しましたが、そんな決意に至った経緯と休養期間をどのように過ごしていたのか聞かせてください。

2000年に22歳でデビューしてから22年間、ほぼ毎日ステージに立って、忙しさに追われる日々を過ごす中、一度そこから離れてみたい、リセットする時間をつくりたいという思いもあって、活動を一旦、休止することを決意しました。

まずはアメリカに渡り、サンタモニカを拠点にしながら、フロリダやラスベガスへ行って観たかったショーを鑑賞したり、人に会ったり、行きたいところへ自由に行って、スケジュールをぎっしり埋めて2ヵ月を過ごしたんです。

滞在中、ジャズ界の重鎮であるハービー・ハンコックさんのビバリーヒルズにあるご自宅を訪問し、何度もお会いして対話をさせていただきました。ハンコックさんに「日本ではこういう活動をしていて、22歳から必死に頑張ってきた」とお伝えしたところ、「日本の地でしっかり歌って、ありのままの自分で誠実に生きている姿を見せながら頑張りなさい」と励ましてくださったんです。

そういったやりとりを通じて、自分自身の心は変わらない、歌い続けることの意味、人間の素晴らしさを伝えていける生涯にしたいと改めて感じました。

日本にいたときには気づけなかったこともたくさんありましたね。その一つが和食のおいしさ。向こうでは自炊をしていたんですけど、出汁の素ひとつ買うのに日本の3倍、4倍の値段で、5000円とか6000円もするんですよ。それだけでげっそりしちゃいましたが、日本の食材を探したり、自炊したりする日々がとても貴重な経験でした。

でも実は、サンタモニカに滞在して1週間くらいが経ったころ、ホームシックになってしまい海を眺めながら泣いちゃったんです。一人になりたくて決めた休養だけど、どうしたらいいのだろうとか、戻る場所があるのかなとか…。

この海の向こうには太平洋があって、その先には日本海もある。もしいま、海にポンと放り出されたら、生きられるかな、日本に帰れるのかな…などネガティブなことばかり考えてしまって。

そんなときにふと、「この苦しさを全部歌詞にしよう」と思ったんです。そうしてでき上がったのが、最新アルバム『KIINA.』(発売中)に収録した『暴れ海峡』です。芸術というにはおこがましいけれど、どんなことでも経験は作品に還元したらいいのだと気づきました。

そこで70曲くらい一気に歌詞を書き上げました。薪を入れることで焚き火がさらに燃え上がるように、苦しい思いをしたときにこそ何かが生まれるのだと実感した出来事でした。

そんな期間を経て、どんなことがあっても謙虚に自分らしく、ありのままで生きていこう。誠実に生きていれば必ずわかってもらえる日が来ると気づけただけでも、お休みした期間は無駄じゃなかったと思います。

いま、50歳近くになって「いよいよこれから」という気持ちですね。諦めなかったからこそ、新たなスタート地点に立てたという気持ちでお仕事に向き合えています。