――さらに、少年隊ミュージカル「PLAYZONE」などで長く共演した後輩の町田さんもステージに花を添えましたが、20年ぶりの共演なのだとか。
不思議な気持ちですが、顔を合わせたり、踊ったりしているうちに自然と時間を飛び越えちゃいますね。一緒にステージに立っていたころからもう20年も経っていたという、月日の流れをおそろしく感じています。

少年隊というグループは名刺代わりの存在
――少年隊は今年12月にデビュー40周年を迎えますね。
40年も活動していたら、もっとたくさんの持ち歌やコンテンツが残っていると思うんだけど、ほかのアーティストやグループと違って、僕らは紆余曲折ありましたから、やはりちょっと少ない気がします。
――錦織さんにとって、少年隊はどのような存在ですか?
以前、風間杜夫さんと食事をしたとき、「僕も昔は小劇団で活動していたけれど、『蒲田行進曲』という作品と出合って、名刺代わりが一つできた。ニッキの場合は、これから人生を歩んでいく中で、“少年隊”が大きな名刺代わりになるんだよ」とおっしゃっていて。

打算的な言い方になってしまう気もするけれど、これってすごく大切なことだと思うんです。何かの折に「少年隊というグループにいましたね」と言われ、「そう呼ばれていた時代もありました」なんていうやりとりがあるかもしれない。そんなふうに名刺代わりになることがとても嬉しいです。
――最後に盟友の植草さん、東山紀之さんへの思いを聞かせてください。
いい距離感があったチームだと思っています。というのは、僕たちって自発的に集まったのではなく、大人たちの指示で動いていた昭和ならではのグループだったから、自分たちで何かを考え、「こんな曲をやりたい」などと希望することはゼロに等しいものでした。
そういった意味でいうと、ソルジャーと呼べるのではないでしょうか。奇しくも、少年隊とグループ名に“隊”がついているけれど、軍隊や部隊みたいだったと思っています。