<絵師紹介>

第一章:喜多川歌麿

寛政期(1789~1801)を中心に活躍。女性の理想像を追求し、色香を見事に表現した美人画の第一人者と言われる。20代半ば頃、北川豊章の名前で出版した役者絵が(浮世絵の一種の)錦絵のデビュー作とされる。

その後、出版元の蔦屋重三郎がスカウトし華麗なるペンネームを与え、専属的に次々と名作を世に出しヒットさせ、大スターに育て上げた。

喜多川歌麿「当世踊子揃 吉原雀」
喜多川歌麿「両国橋上橋下納涼之図(橋下の図)」

遊女、芸者の艶姿を描くのと同時に、いわゆる「ミスお江戸」の美女たち、市中の看板娘をもモデルとし押しも押されぬ人気絵師に登りつめた。

喜多川歌麿「教訓親の目鑑 俗二云 ばくれん」

第二章:東洲斎写楽

江戸三座の役者を題材にした作品で鮮烈なデビューを飾り、寛政6年(1794)5月から翌年の1月までの10ヵ月間に約145点の錦絵を残した。活躍期が短いために経歴の記録が乏しいが、反面、個性的でインパクトの強い役者大首絵を遺したところから、謎が謎を呼ぶ絵師としての印象が根強い。

東洲斎写楽「二世嵐龍蔵の金貸石部金吉」

写楽の作画期は取材した芝居の上演時期によって4期に分けることができ、また、それにより作風がきれいに分類できることが特徴的である。

東洲斎写楽「三世坂東彦三郎の鷺坂左内」

今回、展示する写楽作品の半分以上が第1期の大首絵作品で、これだけの点数が一同に揃うことは希少な機会である。写楽も歌麿同様、蔦屋重三郎に見出された。浮世絵の黄金期に存在感と異彩を放った画家のひとりである。

東洲斎写楽「大童山土俵入り 大童山文五郎」

第三章:葛飾北斎

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

安永8年(1779)にデビュー。画歴70年以上の中で版本挿絵はもちろん、錦絵、摺物、肉筆画などあらゆる分野の仕事を手がけた。私たちがよく知る「冨嶽三十六景」シリーズを発表するのは70代に入ってから。

その前後を展示作品で概観すると明らかに色彩が豊かになっていることが窺(うかが)える。絵具の変化もあるが、老境に入ってより彩りが増し、新しきテーマ、素材に挑戦する北斎の探求心と凄(すご)みが感じ取れる。

葛飾北斎「楠多門丸正重 八尾の別当常久」

また、北斎の「冨嶽三十六景」と広重の「東海道五拾三次之内」は、ほぼ同時期に発表されたシリーズとなる。互いの領分、方向性の違いを見比べていただきたい。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道金谷ノ不二」

第四章:歌川広重

15歳の頃、歌川豊広に入門し、文政元年(1818)に一遊斎の号でデビュー。当初は役者絵や美人画を描いていた。広重を風景画の絵師として決定付けたのが「東海道五拾三次之内」シリーズで、当時の旅ブームと相まって、大ベストセラーとなった。

歌川広重「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」
歌川広重「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」

「東海道五拾三次之内」のような“街道絵”とともに、江戸市中をはじめ、各地の名所を描いた“名所絵”も得意としており、「名所江戸百景」シリーズは晩年の傑作として名高い。

歌川広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」

風景画として異質な縦構図をあえて取り、鳥瞰図を楽しんだり、近景と遠景のギャップを見せたり、画面への収まりのバランスをあえて崩したり、縦横無尽の視点、視覚をもって見る者を楽しませる。

第五章:歌川国芳

歌川広重と同い年の国芳は、15歳の時に歌川豊国の門人となる。文政10年(1827)に「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」でブレイクし、その地位を確立した。

歌川国芳「本朝水滸伝剛勇八百人一個 宮本無三四」
歌川国芳「相馬の古内裏」

特徴的なワイドスクリーン(続き物を一つの大画面として扱う構図)の三枚続で、武者絵の広がりを見せる。また風景画には西洋風の表現を取り入れ、美人画には華美な遊女が描けない時代に縞や格子のシックで粋な装いの街の美人たちを描いて好評を博し、錦絵に戯画という一分野を築き上げた。

歌川国芳「人かたまつて人になる」