現在、フジテレビで放送中の竹野内豊主演のドラマ『イチケイのカラス』。浅見理都の同名漫画が原作で、民放連ドラ史上初、刑事裁判官が主人公の爽快リーガルエンターテインメントだ。

竹野内演じる東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称:イチケイ)の型破りな刑事裁判官・入間(いるま)みちおと、堅物な刑事裁判官・坂間千鶴(さかま・ちづる/黒木華)、書記官・石倉文太(いしくら・ぶんた/新田真剣佑)ら“イチケイ”メンバーの活躍を描く。

法廷、裁判官・書記官のオフィスを中心に展開するこのドラマのセットデザインを手がけた、あべ木陽次(※あべは、木偏に青)に、セット制作のこだわりについて聞いた。

この記事は、フジテレビジュツのヒミツから引用し、構成したものです。

<デザインのヒミツ『イチケイのカラス』編>

――監督からはどのような要望を受けましたか?

あべ木(以下、同):法廷ドラマといえば、普通はどっしりと重みのある、木目調セットが多いのですが、監督からは「とにかく画(え)を明るくしたい」と言われました。法廷ものでも軽快なテンポの、視聴者が入り込みやすいドラマにしたい、と。

具体的には「光の入る法廷」を求められました。実際の裁判所を取材すると、窓は一つもなくて、すごく簡素な雰囲気です。でもそこはドラマなので、窓を多く設けて光がたくさん入るようにしました。監督の役者さんのバックに光を感じたいという方針をもとに、照明スタッフと光の方向を決めていきました。

あとは壁の色。法廷の基調色としてはかなり明るめのベージュ。木目も軽めにして、配置も腰から下やワンポイントに留めました。床は石のタイル風ですが、こちらも明るめの薄いグレーにしています。

――小道具・装飾でもリアルな法廷と違えている部分はありますか?

はい、実際の法廷は今の時代、デジタル化されている部分が多いんですよね。裁判官席にもパソコンが並んでいるし、壁にもモニターが埋め込まれています。ところがセットでは、それらの機器は低い位置に目立たないようにしか置いていません。思いきりアナログなイメージの法廷です(笑)。

裁判所の建物ロケにも程良いレトロ感のある所を選びました。郊外の施設をお借りしているのですが、白い壁の明るい雰囲気で、天窓があって上品な感じが決め手でした。大きすぎない点でも、裁判所の架空の“支部”感が出せていると思います。

裁判官が背負う窓のレリーフには、法廷ドラマ定番の図柄が

――デザイナーの発案で作ったものはありますか?

裁判官席バックの横長のレリーフ窓です。実際の法廷に窓がもしあったとしても、縦長の窓になると思うんです。でも今回は、横長の彫刻の窓を入れたかったんですよね。裁判官3人の誰が立っても座っても窓を背負う形で、常に光が感じられるように。このレリーフの図柄には一部、法廷ドラマ定番の天秤を入れているんですよ。ほとんど気付かれないぐらいさりげなく(笑)。

――裁判官や書記官のオフィスも実際とはかなり違いますか?

実際のオフィスを取材したうえでアレンジしてます。リアルでは裁判官と書記官の部屋は分かれていますが、ドラマでは一つの部屋にして、エリア分けしています。ここでまた監督のこだわりなのですが、部屋のど真ん中に逆V字型の大きなむき出しの鉄骨を入れています。この鉄骨はセットのシンボルとして、 “古い建物”感、“赤字続きの問題支部”感も出せるし、頭をぶつけそうになる芝居もできます。また、主人公のデスクの後ろにある“ふるさと納税”エリアは装飾スタッフの遊び心が満載です。

――オフィスのセットでのこだわりは?

裁判官エリアにある大きな本棚の後ろの窓ですね。部長裁判官のデスクの後ろに高さ3m以上もあるアーチ型の本棚を置いたのですが、アーチの間から光が入るようにしました。明るさと同時に奥行きを出すのも狙いです。

従来の法廷ドラマとは違う温かい空間、“やわらかい法廷”を感じてほしい

――法廷セットのデザインで特に気を使ったところは?

裁判官3人の法服の黒が画面に映えるように気を遣いました。また裁判官、被告と弁護士の三者の距離感でしょうか。実際の法廷はさほど大きくないのですが、セットでは限界まで広くしました。カメラで撮りやすくするためと、カメラが引いた時に裁判官のスリーショットがきれいに映り込むようにするためです。それと、傍聴席も実際には平らな床ですが、奥に座った人の顔まで撮りやすいように、ほんのわずかな高低差のひな壇にしています。

――セットの画から感じてほしいことはありますか?

従来の法廷ドラマのセットとはちょっと違う温かい空間、“やわらかい法廷”を感じてほしいです。その舞台で展開される、キャストの軽快なやりとりを楽しんでいただければ。特に、傍聴席の椅子の色、クリームがかった淡い辛子色、とでも言うのでしょうか、何とも表現しきれない絶妙な色が、法廷の空気感をより軽やかにしてくれました。リアルに近いグレーや茶色だと雰囲気は全く違っていたと思います。装飾スタッフのセンスですね。

<ビジュツのヒミツ①>法廷セットは光が差し込むドラマティック空間

「イチケイ」こと「第1刑事部」。今回の舞台は、民放連続ドラマの主人公では初登場という“刑事裁判官”の職場だ。

裁判官だから主戦場はこちら。年季の入った法廷のセットがスタジオに建て込まれた。

監修の指導のもと、実際の裁判進行に必要なものを配置。細部までこだわって、破綻のないようにデザインされている。

よく見ると、裁判官の背景に映る格子に「天秤」の模様が。女神テミスが持つ“公平”のシンボルだ。

1点、実際の法廷ではほとんど見られないのが、外光差し込む「窓」。重厚な法廷セットの陰影を際立たせ、シーンをドラマチックに見せるため「光の効果」を計算して採用された。

膨大な数の建具倉庫から、この空間にしっくりくるレトロな窓を厳選。装飾とのバランスも考えて、デザインに落とし込んだ。

築90年のイメージの建物の中にあるという、もう一つの場所が、裁判官や書記官・事務官の執務スペース。鉄骨補強材がむき出しの空間で2階もある。

主人公の席、その後ろの壁を埋め尽くすのは「ふるさと納税返礼品」。実際の返礼品を借りて使用されているという。

一際目を引く耐震補強鉄骨は、テレビジュツではおなじみの木製大道具。
補強の役割はほとんど果たしておらず、存在感で他を圧倒する効果が。

柱の配置も自由自在。映り方重視のテレビ仕様デザインとなっている。この柱も、天井の重さを支えている訳ではない。とはいえ、ちゃんと上から吊って固定されているのでご安心を。

ちなみに、部屋のどこかに「カラス」の額が架かっているらしい。探してみるのも一興かと。

<ビジュツのヒミツ②>背景さんのエイジング技&経師(きょうじ)スタッフの貼り付け技

緊張感が支配する法廷セット。整然とした中にも美術スタッフの工夫とプロの技が隠されている。

大道具スタッフを苦労させたのが、裁判官の後ろに段々に作られた部分。
壁紙を美しく貼って仕上げるのはプロならではの技だ。

紙貼りを担当するのは「経師(きょうじ)」スタッフ。バックヤードには「経師用台車」が。

近くには、何種類もの壁紙がストックされている。

工場でのセット制作の際、どこにどの壁紙を使ったか、そのデータをサンプルとともにファイリング。意外に手作り感満載だ。

経師の七つ道具を詰め込んだ「経師道具ガチ袋」。地ベラ、スキージ、なで刷毛などが活躍する。紙と糊・ボンドなどを手に、いざ出動。

まずは、表面の平らな部分に「なで刷毛」を使って壁紙を貼る。ただし、隅の部分である、出隅(でずみ)や入隅(いりずみ)は、糊だけでは剥がれやすいのでボンドを使用する。

段々の部分は浮き上がらないように、入隅までしっかり貼り込み。この時威力を発揮するのが「スキージ」。最後に、入隅で紙を切り取るために「地ベラ」が登場する。

これが「地ベラ」。うまく扱えば、美しい切り口に。隙間なく、浮き上がらない紙貼りこそが、経師の矜持だ。

執務スペースで存在感を示していた、あの木製鉄骨。近くで見てもそれなりの経年感だが、これこそエイジングの技。塗装の専門スタッフを、フジテレビジュツでは「背景さん」と呼ぶ。背景を描くだけでなく、「塗る」プロなのだ。

「六角ボルト」に見せかけた厚ベニアの切り出しで、重量感を表現した造形物。
「背景」スタッフは鉄の質感を出すために、弾性塗料で厚みを付ける。さらに鉄風のツヤが出る塗装で仕上げ。

そして決め手がこの「溶接痕」。コークボンドを着色して、リアル感を演出。
これがあるとないとでは、印象が全く違う。

発泡スチロールにレリーフ模様を彫り込んだ「コンクリート風」。エイジング
技術で、ひび割れやシミをつくり出して仕上げる。

MDFをルータで彫って目地を表現した「スクラッチタイル風」パネル。“タイル”の表面は、ナコ(※)を塗って厚みを出してから「櫛引」加工を施します。塗装で仕上げ、ムラでタイルの質感をつけたら出来上がり。

(※)(粉)のさかさ言葉で、元々は塗装業界用語。かつて、水性塗料は溶剤で溶かした液体のものではなく、使用の度に、専用の粉末塗料を水で練って作っていたことから、水性塗料を「コナ⇒ナコ」と呼ぶようになったとのこと。現在フジテレビジュツでは、大道具スタッフが使う主に外壁用塗料(補修材)のことを指す。

法廷にある木の柵にも、もちろん汚し塗装が。人の手が触れる手すりの上部は、程よく塗装が剥げている。

長い年月の間に、その部分にどんなことがあったのか。「背景さん」のお仕事は、それっぽく見せるためのものではなく、“モノに宿る物語を想像すること”から始まる。