大ブレイク中のモナキが、デビュー前の苦悩を明かしました。

モナキは「セカンドチャンスオーディション」の応募者約1000人から選ばれたメンバーを中心に結成され、メンバーはじんさん、サカイJr.さん、ケンケンさん、おヨネさんの4人。

純烈のリーダー・酒井一圭さんプロデュースによるデビューシングル『ほんまやで☆なんでやねん☆しらんけど』を4月8日にリリースしたばかりです。

左から)じん、おヨネ、ケンケン、サカイJr.

「モナキ」とは“名もなき者たち”を短縮したもので、酒井さんがメンバーを「無味無臭」と評したことから、「まだ何者でもない4人」という意味を込めて命名されました。

めざましmediaはモナキの4人に初アタック!年齢も経歴もバラバラな4人のグループ結成のきっかけやオーディション中の思いを聞きました。(前後編の前編)

モナキ オーディションに挑戦しようと思った理由は?

――まずは「セカンドチャンスオーディション」に挑戦しようと思った理由から聞かせてください。

じん:僕は以前、俳優として芸能活動をしていて『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日)などに出演しましたが、コロナ禍を機に一旦離れ、会社員をしていたときに俳優の知人からこのオーディションの開催を教えてもらい、さらに、芸能の世界にカムバックしてほしいというエールを受けて、チャレンジすることを決めました。

おヨネ:私おヨネは会社員として働きながらも「音楽をやりたい」という思いがずっとあって、ひとりカラオケで歌の練習をしていたところ、カラオケの機械でオーディションの要項を見つけて応募を決意しました。

サカイJr.:幼いころから「ワクワクしている人たちの顔を見ること」が僕の原動力になっていて、駅というのは大勢の人が集まる場所だから、そんな駅に面白い空間を作ればワクワクする人がもっと増えるんじゃないかという思いで鉄道会社に就職し、その後、東京建物という企業に転職しました。

会社の資産を使って誰かをワクワクさせることは十数年間経験してきたけれど、一個人として目の前の方をワクワクさせたいという思いがだんだん募ってきた35歳くらいのタイミングで「セカンドチャンスオーディション」の案内をSNSで発見し、申し込んだ次第です。

じん

――ケンケンさんはオーディションではなく、スカウトでグループに加入したんですよね。

ケンケン:僕は高校を卒業してから芸能界に入って、『動物戦隊ジュウオウジャー』(テレビ朝日)などに出演しましたが、3年後に芸能界を離れて、元・純烈の友井雄亮さんがやっている大阪の焼肉店で働いていました。

そこで、純烈の皆さんや芸能関係者の方とお会いする機会が増えて、芸能の仕事に戻りたいと考えていた矢先に声をかけていただきました。

サカイJr.

――ライバルたちとしのぎを削りながらオーディションに向き合う中、心が折れそうになることはありませんでしたか?

じん:最終審査では、まず年齢順に並ばされて、僕は上から2番目くらいだったんです。その瞬間に「年齢的にも上のほうだし、可能性は低いのかな」などいろいろ考えてしまって。

審査が終わってから結果発表まで、ひと月では収まらないくらい、実際には2ヵ月ほど待ちました。その間ずっと「落ちたのかな」とふさぎ込む瞬間が何度もあり、心が折れそうになっていました。

おヨネ:私おヨネも一番つらかったのは、面接が終わってから結果が出るまで待っている期間でした。一次審査を経た40人くらいが集められてオーディションをして、そこから10人くらいに絞られ、結果がわからない中、大阪から再び上京して面接をして、という流れで。

候補者を思い返してみても、顔が整っていたり、身長が高かったりという精鋭ばかりで、最終的に自分は落とされる要員なんだろうなと思いながら過ごしていました。

サカイJr.:オーディション中でいうと、僕は最初の段階から心が折れかけていました。というのも、歌もダンスもまったく経験がない中、歌いたい人だけ歌うという審査で、あえて歌わせてもらったのですが、自分でも驚くほど下手で、「あ、これはもうダメだな」と。

集団面接でも周りは感情表現が豊かな方ばかりで、一方の僕はサラリーマン時代の分厚い殻を身にまとったまま、まるで就職活動の面接みたいな受け答えしかできなく、連絡もずっと来なかったので、「落ちたんだろうな」と思っていました。

ケンケン:僕の場合はオーディション中ではないのですが、グループ名すら決まっていない段階で集まり、レッスンをいつまで続けるのかわからない中でのスタートだったので、どこまでさまよっていればデビューにつながるのだろうという不安な気持ちを抱えていました。