アル・パチーノを“出待ち” ファンへの対応学ぶ「絶対に裏から出ちゃいけないな」

ハリウッドに確固たる地位を築いた真田さんですが、日本で人気を誇っていたときから既に海外を意識していたといいます。

真田:20代の頃は「今、世界のレベルはどこにあるのだろう」、やっぱり「生で見たい」「感じたい」。3日でも日本で休みがあれば、ニューヨークやロンドンに行って、寝ずにお芝居を2本見て、映画3本見て、飛行機の中で寝て帰ってくるっていうのを常にしていたんですね。

軽部:アル・パチーノのことをすごくリスペクトされていて、“出待ち”したっていう情報があるんですけど…

真田:本当ですね(笑)

『ゴッドファーザー』(1972)で頭角を現した、現代映画界で最高の演技派と評される俳優アル・パチーノ。真田さんは、舞台を終えたアル・パチーノを“出待ち”したときの話を教えてくれました。

真田:ファンだから行ったというよりは、あれだけの人が(会場から)どういう出方をしてファンの方と対応をするんだろうっていうのが見たかったんですね。

雪の中、ずーっと待っていて、(アル・パチーノが)出てきました。丁寧にサインをして、それから車に乗り込んでいく。

「あぁ…やっぱりこういうことをしているんだな」っていうのを見て、どんなに疲れていても、とにかく「ハーイ!」をして、サインをできるだけして、いかなきゃなって、絶対に裏から出ちゃいけないなって、いろいろと吸収することがありました。

そして、20代の頃から世界に目を向けて活躍を続けてきた真田さんに、40歳を過ぎてハリウッド進出への大きなチャンスがやってきます。

軽部:2003年の「ラスト サムライ」がきっかけですか?もっと前ですか?

真田:そうですね、あれが初めてのハリウッド映画。あのときが大きな転機で。