左右馬と鹿乃子くんが、ずっと幸せでいますように…続編ありますように…(祈)

うん、で、気がついたらここまで、ほぼ実のない話でしたが(おい!)、今回の最終回、ホントのところ、イヤな予感しかなかったよな?な!?(急に)

うんだってね、まずね、こういったミステリー作品の場合ね、最終回は前後編的な壮大な話になるのが通常なわけですよね。で、かつ今回登場したのが、ここまで、この10話まで縁もゆかりも何もない、ただのゲストである蘭子(そらそう、ゲストだもの)。

でもって、なんかここまで、そんな最終回的なフックの少なさを制作側が察知したのかなんなのか(言い方!)、予告で、左右馬に「(蘭子を)僕の奥さんですよ?」とか言わせちゃう“不穏”をチラつかせたもんだからさ。

あー、これは、この最終回は、相当自信がないんだわって(失礼)、ここまであまりにも“いい話”が続き過ぎたもんだから、最後の最後になって、最終回をどう締めくくればいいのか、逆にプレッシャーになって、最終回のできに自信がなくなってるんだわって(ひどい!)、こっちは謎の上から目線になってた…わけですよ(偉そうにすな!)。

っていうのに…ねぇ!?視聴者のみなさん、ねぇ!?(何なんだよ)この、最終回の、それらの、僕が上から目線になってあげつらったそれらの必然性たるや、ねぇ?!(知らんがな)

だって、このドラマの最終回を壮大にさせなかったのは、映画化のエピソードにとっとくつもりだった♡…じゃない!!(SPドラマでも、いいよ?)…このドラマが本当に描きたかったのは、“ウソ”をきっかけにした、日常に潜むミステリー(謎解き)っていうより、ミステリーはおまけで、その中にある丁寧な機微の描写で、だからこそ最終回こそ、1話で収まる、いい意味での“地味さ”を優先させた…と。

で、これまでのゲストも絶妙だったけど、今回のゲストの蘭子=加藤小夏さんが、なんとまぁ魅力的だこと!今回のお話をここまで上質足らしめたのは、彼女の魅力があったからこそ!!ですよね。

でもって、予告でチラ見せした「僕の奥さんですよ?」の不穏も、今回の“ネタバラシ”を見せられたら、ただの“釣り”でしかなくて、っていうか、禁じ手ともいえる“夢オチ”で、そんなんされたら普通は憤慨どころじゃない、激怒になってもおかしくないところだけど、今回のお話のキモは、鹿乃子くんが左右馬を先生としてみているのか?「好き」の対象で見ているのか?だったわけだから、そこに、鹿乃子くんにとっての不穏=「僕の奥さんですよ?」は予告で見せて然るべき、予告で見せたうえで視聴者にその「なぜ?」を1週間考えさせるきっかけにもなったわけ。

そいでもってなおかつ、この最終回の演出が、第1話演出の西谷弘監督ではなく、永山耕三監督だったっていうのも、この『噓解きレトリック』を「恋」のお話に、昇華させたかったから…なんですよね?ね?(誰に)

何もかもが、つながっているでしょ!?ね!?(誰にだよ!)

っというわけで、始まる前は『ガリレオ』スタッフだから、ああいう感じかー、へーって、特に何も思ってなかったんだけど(おい!)、第1話見たら、これは形を変えまくった『シャーロック』じゃん!とテンションが上がり、とはいえ急に横溝だってあるじゃん!とか思いながら、最終的には、このドラマ、僕的『東京ラブストーリー』ならぬ『九十九夜町ラブストーリー』でした…。

左右馬と鹿乃子くんが、ずっと幸せでいますように…そして、やんややんや言ったけど、壮大な話でもなんでもいいので、続編、ありますように…(祈)。