<大東駿介 コメント>
――出演が決まったときは、どう思いましたか?
原作と今回の台本を読んだときに「奥本は、絶対自分が演じたい」と思いました。
自分が大阪に生まれ育った俳優として、いつかやりたいなと思っていた“しゃべくり人情”みたいなものをフルに出せる、それにぴったりな題材だなと感じて。
原作の奥川さんの人間味みたいなものを自分の中でキャッチして、形にできるのも僕しかおらんのやないかなと思いました。
――関西が舞台のドラマとなります。
こと関西を舞台にした作品においては、やっぱり“しゃべくってるかどうか”というのが、めちゃくちゃ重要だと思います。
ご都合主義な会話になってないか、ほんまにしゃべくって、人を転がしてるのかを常に意識しました。やっぱ関西弁ってすごい独特で、本に書かれているセリフを喋っているだけでは関西弁にならないんですよね。
関西弁って「感情」が先に出てるんですよ。言葉が先じゃないんです。言葉って「道具」でしかなくて、もう“楽器”的というか。
音楽の授業みたいに楽譜通りに弾いているだけではダメで、音楽の裏にある“グルーヴ”で相手をのらせているんです。どんな音符を辿(たど)るかよりも、その奥のハートの部分がすごく大事で。その空間のことをわかってないと無理やし、関西弁って陽気な楽器やな、と思うんですよね。
だから、それをちゃんと表現できる、その解像度がある人が真ん中におらな成立せえへんな、って。僕は、現場の“バンドマスター”みたいな気持ちでいたという感じですね。
みんな横並びで楽器演奏するんやけど、自分はバンドマスターとしてどういう音を鳴らしたいか、演奏隊(スタッフ・キャスト)をちゃんと導きたいな、という気持ちでいました。
――撮影現場で意識したことは?
“何をしでかすかわからない”という人物を演じるにあたって、現場でも「大東、マジで何しでかすかわからへん」という空気を作れるかどうか。
原作者の奥川さんって、枠にハマらない、アイデアで人を笑かし続けた人やと思うんですよ。僕が奥本という役に置いていかれてはいけないから、奥本を凌駕(りょうが)するアイデアを自ら出して、スタッフを面白がらせることができるかどうか。結果、それができたときに、映像にその熱量は絶対残るはずやと思ったんです。
毎シーン毎シーン、自分なりのアイデアを持っていかせてもらって。普段、俳優をやっていたら考えないようなことすら、各スタッフ、キャストが一緒になって考えたんです。
照明のチーフから「毎シーン、大東くんが想定と違う動きをするのが楽しかったし、自分も毎回チャレンジさせてもらった」って言ってもらえて。
みなさんのプロフェッショナルな仕事が、ほんまに「楽しい!」となっていくような、マジで「俺ら、映像の学校の課題を作ってんの?」っていうくらい青春で、希望しかない現場でしたね。
こちらのアイデアが、みなさんの創作意欲を刺激して「楽しい」と思ってもらえるって、めっちゃ幸せやなと思いました。
関わっているみなさんの熱量が、若い子も含めて、本当に端っこのすみずみまで行き届いている、毛細血管のように端々まで新鮮な血液が流れている、そう感じる現場でしたね。
――奥本の姿は、大東さんの壮絶な生い立ちとリンクする部分もあるのでは?
幼少期に親に捨てられるという経験は、自分の存在価値を見失うことなんですよね。
あのとき、マジで「自分っていらんねや」って思った人間が、今こうして自分自身を商売道具にして飯食ってるわけじゃないですか。
それが、僕の人生のすべてな気がするんです。大きくいえば、あのときの経験を今に応用して、「自身の短所こそ、一番の武器になり得るんじゃないか」と解釈しているんです。
それでいうと僕はもう、“絶望が育てた男”みたいなところがあるんです。人から教わって覚えたことってほとんどなくて、怒られて学ぶこともあまりなかった。
マジで「もう取り返しがつかへんやろ」というような絶望の中で学んできた人間なので。なんで、その中で消えていかなかったんやろな…。
いろいろなことを経験した結果、当然失ったものもたくさんありましたけど、そんななかでも「おまえ、ほんまどうしようもないな」と言いながら見捨てずに支えてくれた人たちの温かさは、痛いほどわかるんです。
そうやって失敗を繰り返すうちに、自分の生々しい経験が、かえって同じように苦しむ誰かを救う材料にもなって。
そうすると、自ずと自分にも自信がわいてくる。だから僕はやっぱり、“絶望が育んだ男”なんやと思います。
イケメン俳優という枠に括られて“かっこよくいなければ”と囚(とら)われた時期もありましたけど、自分の嫌いな部分をあえて際立たせて商売道具にし始めたら、「あいつの歪(いびつ)さ面白いな」って評価され始めたんです。
人間って結局、身体的なものも心情的なものも、“歪性”に興味を持つんやな、と。人と違う短所、人には誇れないようなものが、誰も持っていない財産に変わり得るんです。
「終わりを決めなきゃ失敗じゃない」という、原作の奥川さんの人生って、まさにそうやなと思います。
今は失敗が許されない時代のような風潮があるけど、歩みを止めなければ、失敗は財産になるんだっていうことを体現しているのが奥川さん。
それは今の時代、かなりの希望になるんやろうなと思ったし、奥川さんにとって、リスクって“おもろい”の材料やったんですよね。
――相武紗季さんの印象は?
相武さんは、学生時代から憧れていた同世代の女優さんです。
20年のときを経て、さまざまな経験を積まれた“今の相武紗季”の魅力を間近で見せてもらいました。
母性もあり、それが洋子という役に必要不可欠で、すごく甘えさせてもらった。ボロアパートで夕日に照らされる洋子を見たときに、「相武さんが洋子でよかったな」と心から感じたんですよね。
――八村倫太郎さんの印象は?
彼の一生懸命さや、今あるものと真摯に向き合う無垢な眼差しからたくさんもらうものがありました。
僕が彼を踊らせているふりをして、実は完全に彼に踊らさせてもらった。水野という役でそばにいてくれたからこそ、“奥本”ができたと感じています。
――視聴者のみなさんにメッセージをお願いします。
SNSって、自分の足りないものを瞬間的に吸収できるから、何者かになったと錯覚できるじゃないですか。
でも、足りないものを自覚してそれを埋めようとする、もしくは誇れるようにする作業こそが、自分という実像を浮かび上がらせる。
今の時代、もうAIが作ったものかフェイク動画なのかもわからへんようになってきていて、ほんまに、なんかつまらんことになってんな、って。
だからこそ、マジで生身の面白さを出したろって感じがしましたね。失敗できるのが人間で、無様で不細工なのが人間やから。人間の“歪さ”みたいなものをもっと面白がれたらいいのになって思います。
僕、人生って“金継ぎ”やと思ってるんですよ。割れた茶碗を金で修復して、美しい模様に変えていく作業みたいなものやなって。
自分は粉々に砕け散って直すのがめっちゃ大変やったものを、いま一生懸命一つずつつなぎ合わせて、造形美にしていってる感じがしていて。
傷や挫折、「もう元に戻しようがないやろ」みたいなものが、より良い新しい、まだ見ぬ美しさのきっかけになるんじゃないかなって。
ただ、茶碗だけでは金継ぎできひんから。大事なのは、そこで“金”という仲間とともに新しい美しいものを作り上げてもらうこと。
自分という割れた茶碗を、いろんな人が美しい金の模様で彩ってくれてる。そういう人生になればいいな、って。それが僕にとっての『絶望できない男』ですね。
このドラマを見て、自分を見返してもらって。僕自身も“生き恥”を晒(さら)してますけど、その“恥”が、全4話を見終わったあとに“財産”に変わるような作品になっていると思います。
「恥の多い人生でした」ということを、懺悔(ざんげ)じゃなく誇りの言葉に変えて、自分の人間としての魅力にして生きていけたらな、と思いますね。
平穏を求めてるはずやのに、平穏の中では生きた心地がせえへん。絶望の中に命を感じる。緩やかに生かされたいんじゃなくて、血反吐吐きながら生きたいんやな、って。
