<中橋美樹(ディレクター)コメント>

――ディレクター担当が決まったときは、どう思いましたか?

責任感を強く感じたとともに、自分が取材できるのか不安がありました。

私は兵庫県で、震災から5年後の2000年に生まれました。いわゆる「震災を経験していない」世代です。私の母親が当時、神戸・三ノ宮の会社に勤務していて被災したという話は聞いたことがあるものの、直接は経験していません。そんな自分で務まるのか不安がありました。

ディレクターをさせてもらうことが決まり、震災当時から取材をしている記者やカメラマンの先輩と一緒に、挨拶を兼ねてご遺族や被災者の方にお話を聞かせていただく機会をもらいました。

過去の放送を見て、本を読み、「人と防災未来センター」などにも行って、できるだけ当時起きたことを頭に入れてからおうかがいしましたが、聞かせていただいたのは知らないことばかりでした。直接語られる話には、言葉では言い表せない重みがありました。

私は、テレビ局の記者として、できるだけ多くの人にご遺族や被災者の言葉を、テレビを通じて発信し続ける責任があると感じました。

――30年で、“節目を迎えた”と捉える人もいます。

取材相手の方に「もうすぐ震災“31年”ですが、心境は変わりましたか」と聞いたことがあります。その方は「これからも何も変わらない。やることは一緒」と答えられました。その一方で、「(行事の)参加者は、少なくなってきている」ともおっしゃっており、とても印象に残りました。

背景には被災者の高齢化が進み、世代交代が進んでいることがあるといいます。震災を経験していない世代が増え、「記憶の継承」が難しくなってきています。餅つき大会を主催する自治会長は、忘れ去られることが怖いと話していました。

この方は、大学生たちに、当時の悲惨さを話す活動もしています。私は同じ震災を経験していない世代のディレクターとして、思いを伝える手助けをしたいと思いました。

――『この瞬間に祈る』をどう受け継ぎ、さらにどうつなげていきたいと思っていますか?

先日、神戸市に挨拶のため訪れました。長田区・鷹取地区で餅つき大会が開催されていて、そこには地元の中学生や、ボランティアとして訪れていた大学生が自主的に餅つき大会に参加していました。被災した住民の方々と混じって、餅を力強くついていました。

みんなが声をかけ合う、あたたかい雰囲気の空間でした。学生たちは住民の方に積極的に話しかけていて、あの日の記憶を継承したいという意思があると感じました。被災者の方の話を聞いて、「自分が伝えていかないと」と思ったとも話していました。

番組では、今でも集いを続けている「鷹取地区」「森南地区」「西宮・高木小学校」、そして「東遊園地」から中継をつなぎます。

集いがなくなってしまったところや、遠方に住んでいる人、外出できない人にとっての時間を共有する場に、そして私のような被災していない人には、改めて考えるきっかけとなればと思います。

視聴者のみなさまには、『この瞬間に祈る』を見て、ご遺族や被災者の方の声に耳を傾け、追悼の時間を共有していただければ幸いです。