3月28日(土)27時15分より、フジテレビでは『パラ☆DO!真ん中』が放送される(関東ローカル)。番組では、射撃の田口亜希さんをゲストに迎え、パラスポーツにまつわるいろいろな情報を発信していく。
ゲストの田口さんは、アテネ(2004年)・北京(2008年)・ロンドン(2012年)と3大会連続でパラリンピックに出場し、2010年アジアパラ競技大会では銅メダル獲得。東京2020聖火リレー公式アンバサダーも務めている。
“パラ”の本当の語源とは?その変革の歴史とは?
“パラスポーツ”の“パラ”の現在の意味は、「パラレル(並行)」という意味。しかし、もともとの“パラ”の語源は“並行”という意味ではなかったという。もともとの語源はなんだったのか?そして、現在の意味にどのように変わっていったのか?番組ではその歴史をひもとく。
レジェンドジャンパーと義肢装具士の絆と挑戦!
パラリンピック・走り高跳びでメダル獲得の期待がかかる日本のレジェンドジャンパー鈴木徹選手。鈴木選手は、シドニー大会から5大会(シドニー・アテネ・北京・ロンドン・リオ)連続入賞を果たし、今回の東京大会が6大会目の出場となる。
2006年ジャパンパラリンピック陸上競技大会で、世界で2番目となる2メートルジャンパーにもなっている鈴木選手の活躍の裏には、義足の進化とともに鈴木選手の競技用義足製作に携わってきた義肢装具士(ぎしそうぐし)の臼井美男さんの長年にわたる支えがあった。番組では、その2人の絆と挑戦を伝える。
1964年「パラリンピック東京大会」を“創(つく)った男”
世界が注目し、日本中が熱狂した1964年の東京オリンピック。その大会の裏で「パラリンピック東京大会」も開催されていたことは、あまり知られていない。その1964年「パラリンピック東京大会」を“創(つく)った男”と呼ばれるのが、中村裕博士。
番組では、中村博士と、博士が大分に開設した“太陽の家”、そして海外にも広がる足跡をたどるとともに、当時の大会の様子をフジテレビ報道ドキュメンタリー映像などから追う。
さらには、当時の大会にイタリア選手団の通訳ボランティアとして従事し、その経験を生かして現在はバリアフリー建築の第一人者として活躍する吉田紗栄子さんから、当時の貴重な話を聞く。
パラ途上国、ラオス・バングラデシュを田口さんが訪問!
日本の多様な魅力を海外に発信する外務省の「日本ブランド発信事業」にも参加している番組ゲストの田口さんが、パラ途上国であるラオス・バングラデシュをパラ競技の普及と現状視察のために訪問。
ラオスでは、バリアフリーの設備がまだ整備されていない現状を、田口さんが身をもって体感し、ラオス市民がパラリンピックを「ほぼ知らない」という現実にも直面する。
2004年と2008年のパラリンピックに出場していたバングラデシュでは、過去に国内のパラリンピック組織が対立。その後、対立はおさまり、去年バングラデシュパラリンピック委員会が設立されたが、まだ国際パラリンピック委員会(IPC)に承認されておらず…。現状では、東京大会に参加できない事態に陥っている。
そんなバングラデシュのパラリンピック委員会に、田口さんは自身の招致活動の経験からある提案を行う。その提案とは何なのか?
4月にはレギュラー番組『パラ☆DO!』もスタート!
『パラ☆DO!真ん中』とは別に、4月4日(土)より、毎週土曜には『パラ☆DO!』(関東ローカル)の放送がスタートする。
初回放送では、『パラ☆DO!真ん中』でも取り上げた走り高跳びの鈴木選手と鈴木選手を支える義肢装具士・臼井さんを取り上げる。番組では、以降もパラアスリートだけでなく、支える人も含めて、その姿を描くことで、パラスポーツに携わるすべての人たちにエールを送っていく。
<田口亜希さん コメント>
――『パラ☆DO!真ん中』の見どころなどをお聞かせください。
1964年のパラリンピックは、1964年のオリンピックに出た人でさえもパラリンピックが開催されていたことを知らない。そうなると一般の方たちはもっとご存じないと思います。
そういう方々に1964年がどういうパラリンピックだったか、その時からボランティアの方々はじめ、いろんな人が支えている、支えてもらっていることを知っていただきたいです。
そしてそこから56年たった今、2020年のパラリンピックがどのように変わってきたのか、どのように迎えようとしているのかを、この『パラ☆DO!真ん中』で分かっていただいて、それが4月からスタートする『パラ☆DO!』につながっていくと思います。
パラアスリートは、遠くの存在として思われがちです。でも、たとえば番組で紹介した鈴木選手もずっと小さい時からパラアスリートとして走り高跳びをしていたわけではなく、ハンドボールをされていて、事故に遭われてから走り高跳びを始めました。
それは特別な人が特別なことをしていたわけではなく、身近にいる人が自分に合ったことを頑張り、そして支えてくださる方がいて、そこにたどり着いた。そういうことがこの番組で分かってもらえるのではと思いました。
1964年パラリンピックでボランティアをされた吉田さんも、ご友人に誘われて通訳として入られたけど、障がいのある方々が選手村で段差を越えたりするのが大変だったことを見て、これはバリアフリーが必要だと感じ、バリアフリー建築に興味を持たれました。
誰もが身近にあることに気づき、知ることによってバリアフリーだけでなくいろいろなことが変わっていくと思う。この番組を通してパラスポーツも、パラリンピックも、バリアフリーも、誰もが身近にあることだと知ってもらいたいと思います。
――4月からスタートする『パラ☆DO!』は、どんな番組になってほしいですか?
パラリンピック選手ももちろんですが、パラスポーツを支える人たちが注目してもらえるキッカケの番組になると思っています。
パラリンピックだけではなく、社会的にも、視聴者の皆さんが障がい者やそれを支える人たちを感じてくれる、そして支えている人たちも皆さんに評価されて、周りから評価されることによってさらに頑張ろうとかと思ってもらえる、そんなキッカケの番組になってほしいと思います。
さらに、臼井さんのような義肢装具士を紹介することで、あの人のところに行けば走れるようになるのではないかと自分ができる可能性感じる障がいのある人がこれから増えていく、気づきを得るような番組にもなってほしいと思います。