元HKT48で現在は俳優として活躍する兒玉遥さんが、2025年9月19日に著書『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』を発売。

兒玉さんがアイドル時代に経験したプレッシャーや葛藤、そして活動のさなかに患った双極性障害(躁うつ病)。発症時、医師から「元気な姿に戻れる確率は1割」と衝撃的な宣告を受けたという兒玉さんが、いかにして乗り越えたのか?闘病生活についてなど、これまで語ってこなかった真相がつづられています。

そんな兒玉さんに今回、めざましmediaがインタビュー。
アイドル活動のさなかに双極性障害を患った兒玉さんが「会話もままならなくなった」という闘病生活についてや、その中で支えとなった母の言葉など、当時赤裸々に告白。

さらに、来年30歳になるという節目を控えた兒玉さん。思い描く理想の結婚生活や今後の仕事についても明かしてくれました。

【インタビュー#1】2度の“うつ”を克服 元HKT48・兒玉遥 宮脇咲良や村重杏奈とともに活動したアイドル時代に抱いた劣等感「センターとして何を頑張れば」

「何があっても私が守るから」“性格が正反対”な母の言葉で2度の闘病生活を乗り越える

2011年に博多を拠点とするアイドルグループ「HKT48」の1期生として15歳で加入した兒玉さん。
「はるっぴ」という愛称でファンから親しまれ、2012年にはAKB48の『真夏のSounds good!』で初選抜メンバー入り。さらに、HKT48でも『控えめI love you!』などのシングル曲でセンターを務めるなど、グループの人気メンバーとして活躍してきました。

しかし、その裏では、“完璧なアイドル”を目指すあまり、18歳のときから顕著になった「眠れない」という悩みや、オンオフが切り替えられないストレスを抱え、さらに自身の反省点を克服するために習慣としていた“反省ノート”には「デブ」「ブス」「痩せろ」と自分を罵る言葉を書き続けるように。

そして、幻聴や幻覚が日常で起こるようになり、心身の限界を迎えた兒玉さんは20歳のときに出演予定だったコンサートでステージに立てず、その後双極性障害と診断され、2度の休業を経験しました。

そんな兒玉さんに当時の闘病生活を振り返ってもらうと、“性格が正反対”だというポジティブな母のサポートが不可欠だったことを明かしてくれました。

――アイドル活動のさなかで双極性障害を患い、2度休養されていますが、1度目と2度目はどのように違ったのでしょうか?

アイドル時代に書いていた「反省ノート」には、ネガティブな言葉を書き連ねて、SNSではネガティブな言葉を眺め続け、次第に前からあった不眠や不安感は強くなっていきました。
2017年のコンサートで、私は舞台袖にいたのですが、爆発してしまい気がついたら座り込んで大きな声で泣いていて。そこから一歩も動けない状態になってしまい、一度アイドルを休業することにしました。

1回目の躁うつ病は、結構甘く考えていましたね。
ちょっと休んだから大丈夫でしょうという気持ちがありましたし、仕事を休むことに対して、グループでの居場所がなくなるかもと焦りが出てきてしまったんです。休んでいましたが、まだ自分がうつ病だということをしっかり受け入れていなかったと思います。

2回目の方は、まだ治っていないのに焦りで復帰したこともあり、落ちるとこまで落ちたなという感覚がありました。仕事をしていく中で、明らかに日々の業務ができない。会話もままならないですし、体に染みついている歌やダンスが思い出せない感じだったので。しっかりと自分の中でゲームオーバーだという認識ができて、受け入れるしかないくらい自分が弱ってしまったので、休もうとすんなり思いました。

――そのような精神状態でありながらも、メンバーには純粋に打ち明けられないというところは、当時つらかったのではないでしょうか?

そうなんですよね。多分周りの人から、すごい変だなと思われていたと思うんです。メンバーも心配してくれていましたが、「うつ病なんだ」とは言えなかったです。

心配されたくないという思いが最初に来て、迷惑をかけたくないと思ってしまって、余計何もできなくなっていましたね。

――休養して闘病されている間、一番つらかったことと救いだったなと思えたことは何でしたか?

自分でやったことですが、太ってしまったことが辛かったです。
でも幸せだったのは、お母さんのご飯が美味しかったことです。矛盾ですね。

休養中は、お母さんの存在がすごく大きかったです。今回出す本は、実は“娘と母の愛の物語”なんじゃないかなと思うくらい。

――お母さんはどのような方ですか?

お母さんは2人姉妹の次女で、ずっと専業主婦です。本当にネガティブが1もないような人間なので、ずっとポジティブで明るい性格ですね。

性格は私と全く似ていません。お母さんは「自分の子なのに、うつ病になるんだ」みたいに思ったらしいです。

双極性障害によって、すべての感情が消えてしまっても「お母さんのご飯が美味しかったことが幸せだった」という兒玉さん。
休業中は1日中起きてこない日でも、母が何かを料理している匂いで部屋から出てくるほどに食への欲求が衰えなかったといいます。

そんな兒玉さんに対して、母は“とにかく普通に過ごすこと”を意識しながら、「大丈夫?」とも聞かずご飯を食べて一緒に過ごし、たまに散歩に誘うという生活を約半年間続けていたそう。

――ご実家で闘病されている間、記憶がないこともあったそうですが、お母さんから当時の様子を聞いたときは率直にどう思いましたか?

1度目の休養のときは、宇宙と交信しているかのように一人でずっと喋り続けていたそうですが、2度目の時は一切それがなくなって、「すべての色が消えたようだった」と言っていたそうで、びっくりしました。

自分がこうやって元気になれたのも、やっぱりお母さんの助けが大きいので、お母さんって偉大というか。「母への感謝深まる」みたいな感じでしたね。しっかり親孝行しようと思いました。

――お母さんからの言葉で印象に残っているものはありますか?

「何があっても絶対に私が遥を守るから」って言ってくれたことがすごく記憶に残っていますね。休養中は本当に理由もなく泣いちゃう日があったりしましたが、“絶対的な味方”という存在がありがたかったです。
本当にお母さんがいなかったら、私はどうなっていたんだろうと思います。

双極性障害を患ったとき、医者に言われたというのが「感情をほとんど出せなくなったうつの症状から、今私たちがいる『こちら側の世界』に戻って来られる人は3割程度。そのなかでも、もとのように元気になれる人は1割程度」という宣告。
つまり「もう回復は難しい」と言われているような状況だったと明かしていた兒玉さんは、それでも希望を持ちながらサポートし続けていた“絶対的な味方”の母へ、感謝の気持ちを口にしました。

その後、双極性障害を治癒し、当時22歳だった2019年6月にはHKT48の卒業と俳優への転身を発表。
現在、ドラマや映画などで活動している兒玉さんが「年を取ることが悪じゃないのが楽」と、俳優の魅力を語ってくれました。