元おニャン子クラブの城之内早苗と生稲晃子が、所属するプロダクション尾木の公式YouTubeチャンネル内で、トーク動画「早苗と晃子の佐吉へようこそ!!」を公開中。ゆる~いトークかと思いきや、おニャン子に熱狂した世代を大きくうなずかせるエピソードのオンパレード、ということでフジテレビュー!!がふたりに緊急取材した。

先に公開した<前編>では、動画の反響や互いの印象について話してもらったが、<後編>では出会いからおニャン子時代の思い出、そして、近況までたっぷり聞いてきた。

ソロデビューしたばかりの城之内に見とれた生稲「めっちゃキレイ」

――最初に出会ったのが約35年前ということですが、その時のことを覚えていますか?

生稲:その瞬間っていうのは覚えてないんだけど、私は『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の「アイドルをさがせ」というオーディションに参加したとき(1986年)で、「城之内早苗が歌ってる~!」って感激しながらステージの袖で見ていたんです。

城之内:「あじさい橋」を歌っていたとき?

生稲:6月だったよね?

城之内:私のソロデビューが6月11日で、『夕ニャン』で初めて歌ったのが13日。

生稲:早苗ちゃん、めっちゃキレイだった。浴衣を着て歌っていたでしょ?おニャン子ってそういうイメージじゃなかったから、すごく大人に見えたの。

城之内:私たちメンバーも、「アイドルをさがせ」のオーディションを見ながら、「この子は絶対に合格する」とか予想をしていたの。その中でもあっこはおとなしい感じだけどダントツ可愛くて、絶対に入ると思ってた。

ただ、こんなに可愛いのに、活動を始めるのが遅いなって思ったんだよね。私たちはもうすでに1年間、活動しちゃっていたから。そして(生稲が)合格した1週間後に沖縄ロケですよ。まだ誰とも親しくなっていないのに、あのときはかわいそうだったよね。

生稲:もっと仲良くなってからとか、解散する前とかだったらどんなに楽しかっただろう。早苗ちゃんは歌っている姿も大人だったけれど、おニャン子の中での立ち位置も常に中立で、大人だったんですよ。端のほうから見ていると、あっちにフラフラ、こっちにフラフラっていうメンバーもいたから…。

城之内:いたの!?そんな人。

生稲:いたよ、言えないけど(笑)。年齢は同じでも早苗ちゃんはやっぱり先輩だから、自分から話しかけることはできなかったな。

城之内:あっこは私に対して「先輩」っていう意識を持ってくれていたよね。すごく謙虚だった。だから、誰からも憎まれないの。私のことを中立的って言ってくれるけど、バランス感覚はあっこのほうが大人。

上京したばかりの城之内、先輩・河合その子と水着を買いに巣鴨へ

――今だから明かせる「おニャン子秘話」を教えてください!

城之内:「今だから」は、ないね。墓場まで持っていかなきゃいけない話ばかり(笑)。

動画でも触れていますが、田舎から上京してまもない頃、水着が必要になったんですね。寮生活を一緒にしていた先輩のそのちゃん(河合その子)に相談したら、巣鴨のイトーヨーカドーへ連れていってくれたんです。そのちゃんも東京に詳しかったわけではなかったのですが、「うわー、そのちゃん、こんな大きなお店に連れてきてくれた」と感激したのを覚えています。そのちゃんには、いろいろなことを教えてもらったな。

生稲:私は会員番号が40番で、39番の高畠真紀ちゃんによく面倒を見てもらいました。いつも一緒にいてくれて心強かった。そして、大学受験のときに勇気づけてくれたのが山本スーザン久美子ちゃん。仕事帰りのタクシーの中で、大学の話を聞かせてくれて、普通の女の子としてアドバイスをくれていましたね。

当時のおニャン子は“The芸能界”のど真ん中にいて、テレビには華々しく出ているけど、素顔は普通の女子高生、女子大生でしたので。

「私たちがいた頃と今の芸能界は違う」

城之内:みんながみんな、芸能界での成功を目指していたわけではなく、「今を楽しく」というような、時給、日給のいいバイト感覚だった。そういった意味では、私たちがいたころの芸能界と、今の芸能界は違うんだよね。

生稲:レコードを出せば常にオリコン1位で、大スターではあるけれど、異色の存在。その中でも、トップを目指してやっているおニャン子と、のんびりやっているおニャン子がいて。

城之内:温度差はあったね。ソロデビューして大ヒットしたけれど、意外に温度が低い人。逆にソロデビューはできなかったけど、温度の高い人。

生稲:だから、おもしろかったのかもね。

生稲は認知行動療法士の資格を取得。一方の城之内はInstagramを始めるも…

――昨年からのコロナ禍で、日常の過ごし方も変わってきたかと思いますが、おふたりにも変化はありましたか?

生稲:認知行動療法は、2009年にまずカウンセラーの資格をとったんです。でも、仕事に活かされることもないところにコロナ禍となり、仕事がなくなって。自宅でボーッとしながら、これじゃいけないと勉強を始めて、今年の2月に認知行動療法士の試験を受けました。

50歳を過ぎてからの勉強は本当に大変で、頭にまったく入ってこないんですよ。何回も読んで書いて覚えての繰り返し。早苗ちゃんは私のことを「偉い」って褒めてくれるけど、早苗ちゃんだっていつも歌のレッスンを受けているでしょ?

城之内:してないよ。

生稲:いや、絶対してるって。

――城之内さんは何か始めたことはありましたか?

城之内:Instagramぐらいかな。でも、集中力がないから1、2ヵ月更新できないこともあって、あっこみたいに続けられないの。

生稲:若い人って毎日書くことがあるけど、私たちってある?この年齢になると朝起きて、洗濯して掃除して、1日終わっちゃうでしょ。写真なんて撮らないよ。手芸のほうは?

城之内:あれは東日本大震災を機に始めたことで。

生稲:そういうタイプだとは思ってなかったから、すごく意外だった。

城之内:そう?結構、家庭的って言われるよ。

生稲:お部屋もキレイだしね。

城之内:キレイなところを写すしかないじゃん。もうネタがないのよ(苦笑)。あっこの認知行動療法士はこの先、広がっていく可能性があるけど、私はないんだよ。あっこは本当にたたずまいはおとなしいけど、アクティブ。

だから“マグロ”って呼んでるの。泳ぎを止めたら死んじゃうんだよ。逆に私は動いたら死んじゃうタイプだから、うらやましい。これは自画自賛かもしれないけど、私たちって人のことをああだこうだ言わないね。噂話もあまりしないし。

生稲:だから楽なのかもね。私はウエットに見られがちだけど、実は「男か?」っていう性格で。

城之内:あるある!うちの旦那さんとあっこだと、あっこのほうが気を遣わないで済むもん(笑)。

生稲:それでいいんだよ。疲れたら私のところにいつでも来て♡

城之内:ありがとう(笑)。

part5が本日22日(金)に配信されたばかり!「早苗と晃子の佐吉へようこそ!!」(プロダクション尾木YouTubeチャンネル)