毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。

8月29日(日)は、2017年に倉本聰脚本のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日)で共演した草刈民代、浅丘ルリ子、風吹ジュンが登場した。

女優一筋の浅丘ルリ子「1人でもいいから子どもが欲しかった」

今回は、「2人の先輩にお話をうかがいたい」と草刈たっての希望で鼎談が実現。それぞれ女優として活躍しているが「みなさん、タイプが違う」と風吹は言う。

風吹:草刈さんは、アーティストっていうイメージありますし。

浅丘:そう、全然違う、ね。

風吹:浅丘さんはスターですし。で、私はつくづく女優ってブルーカラーだなって感じていて。肉体労働(笑)。

浅丘:でも、もうお母さん役をやっている。

風吹:お母さんをもう超えましたよ、おばあちゃんですよ、最近。

プライベートでも4人の孫がいると明かした風吹に、浅丘は「いいなぁ。私、1人だけでもいいから子どもが欲しかった」と打ち明けた。

風吹:そうですか。

浅丘:もうね、それだけが悔やまれてならない。

風吹:悔やみますか?

浅丘:悔やみます。

風吹:私は、そういう生き方も素敵だなっていうふうに…。

浅丘:そうね。もう本当に女優一筋だから。ほかのこと何にもやってないから。この世界に入って66年ですけど、波瀾万丈っていうのが全然ないんです。14歳から、とってもうまい具合に来させていただいたんですね。それが「なんて幸せなんでしょう」と思って。だから、私生活の中で一番残念なのは、1人でもいいから子どもが欲しかった。

風吹:でも実際、子どもがいる、孫がいるって、ずっと問題が絶えないですよね。

浅丘:そうですか。

風吹:苦労も絶えないですし。

両親の離婚で「1人の時間がすごく長かった」という風吹は「家庭はすごく欲しいと思っていた」と語るが…。

風吹:私は逆に、悔いがあるとすれば、「女優をちゃんとできていない」というコンプレックスがずーっとあるんですよ。

浅丘:本当?

風吹:うん。やりたいのにできないっていう状況がずっと何十年も。子育てに入っていたので。いつ出て行っても、どの場所に行っても、何か新人のような…。いつも立て直し、立て直ししながら、その場にいるんですけど。ベテランとは言われるんですけど、全然、未熟な女優で、コンプレックスだらけなんですけどね。

浅丘:そんなことないよ。でも、もう1個言わせていただけると、石坂(浩二)さんと結婚いたしました、そのときに、「あなたは家庭に入ることは(しなくて)いいです、女優さんを続けてください」って。それがもうなんてうれしかったことか。「じゃあ辞めなくていいんだ」って。でも家庭のことも何にもできませんけど…「できるときにやればいいです」とおっしゃってくださって。それで今まで、ここまで来られたんですね。

それがあんまり甘え過ぎて、あちらに、お好きな方がおできになったからこうなりましょう(別れましょう)ということで、スムースにお別れして。あの方には本当に、いっぱいいろんなことを教えていただいたから、もう「結婚して本当に良かった」と思って。

石坂のおかげで「落ち込んだりダメになったりすることがなかった。こんなに幸せなことはないです」と、結婚生活への感謝を語った。

女優になることを決めたのはバレエ引退の1ヵ月前

また、バレエダンサーとして国内外で活躍していた草刈も、女優への転身を語った。

浅丘:ご主人(映画監督の周防正行)のおかげなの?「女優さんになろう」って思ったの。

草刈:そうだと思います。もしも映画監督の夫と結婚していなければ、たぶん女優にはなっていなかったと思います。

浅丘:うそだー。

草刈:いや、本当です。

浅丘:じゃあ、周防さんが「なりなさい」って言ったの?

草刈:そうでもないんですけど。でも私、女優さんには向いてないと思ってたんですよ。

浅丘:自分で?

草刈:ええ。若いときから、3回くらい映画とかドラマとか、お声が掛かったんですけど。でも、自分がやることじゃないと思っていて。バレエ以外やる必要ないと思っていたんです。だけど、「Shall we ダンス?」(1996年)のときだけは…私は当然やらないと思っていたんだけど、周りの人全員が「やったほうがいい」っていうふうに言っていて。気がついたら、私だけ1人で「やらない」って抵抗していたみたいな感じで。で、「これはやったほうがいいのかな」と思って。企画書とかを読ませていただいたら、「あ、これだったら出たいな」と。踊れる人じゃないとできない役だったので。

風吹:そうですね、あれは。

草刈:でも、やっぱりそれだけで。そのあとは、ずっと踊りしかやっていないので。「女優になろう」と思ったのは、引退するって決める1ヵ月前っていうか。それを決めることができて、「踊りはもうこれでおしまい」というふうに踏んぎりがついたんですよね。

浅丘:自分でおしまいにしちゃったの?

草刈:そうです。もうトウシューズ履いて踊れなくなっちゃいますから、年を重ねると。

浅丘:やっぱりそれ、お年がありますか?その、辞めなきゃなんない、ああいうバレエとかそういうものは。

風吹:引退っていう。

草刈:やっぱり、体が動かなくなるので。ジャンプも、今まで足を一振りしていたら上がってたのに、あ、体が動かなくなってきたなとか。あとはやっぱり、けがしたところの古傷でバランスが崩れて、今までできたことができなくなるとか。そういうことをすごく感じるので、それを抱えたまま踊っているというのは、こんなにつらいことはないと思って。

草刈の話に風吹は、「アスリートなんですね、本当に」と感心していた。

60代から登山を始めた風吹ジュン「登ったら、面白い。体が変わっていく」

また、草刈は今回の収録の前に浅丘、風吹の本や資料に「一通り目を通してきた」と、現場に本を持ち込んでいた。

草刈:風吹さんはもう…。

浅丘:すごいよね。

草刈:最近、こんなスタイルブックとかを2冊も出されて。(と、取り出す)私も、スタイルブックみたいなお話いただいたことありますけど、私は自分が興味があること以外、全般的に興味を持って…みたいなタイプじゃないので、こんなにバランスが取れた本って作れないんですよ(笑)。だから、それもすごいなと思って。

浅丘:見せて。(立ち上がって草刈から本を受け取って)わあ、かわいい。

風吹:もう夏休みの宿題のように。たまたまそのときは、50代から私、中国に、年に2度…3度ほど、茶葉の畑を巡る旅をしていたんですよ。それは、子育てが終わったので、ちょっと時間ができたときに、ドラマの合間に「とにかく自分の好きなことを一度やりたい」っていう。

草刈:あの、60歳になってから山登りを始められたというのも読んだんですけど。

風吹:そうなの。

草刈:それもすごいなと。なかなか、そんなに急にできることじゃないと思うんです。

風吹:私も「どうしてみんな登るんだろう?」と思っていました。登ったら、面白いんですよ。

浅丘:面白い?

風吹:子どもみたいに、本当にジャングルジムを登るみたいに岩を…何千メートルから植物なくなりますからね。岩を登っていくんですけれど、それが、とても面白いって思っちゃったんですよね。で、60代のうちに何ができるだろうって思ったときに、剱岳を目標にしよう。で、その、60(代)中間からちょっと足を慣らすっていうことに入っていくんですけど。そうすると体って変わっていくんですよね、どんどん。

登山の経験を問われ、うつむいた浅丘に風吹は「そうだと思います(笑)。でも、本当にちょっと歩いてみると、違ってくる」と実感を込めて語った。

「不安ばかりでは何も進まない。不安が共同幻想にならないように…」(風吹)

最後は、コロナ禍の今、3人が思うところを語り合った。

風吹:個人の考えが、もうちょっと自立していくってとても大事で。それから、自分の価値観を自分で持っていくというか。もう、サバイバルの時代になってきてるような気がするんですよね。

浅丘:うんうん。

風吹:人間って、すごく変身していく。強くたくましく成長していける生き物だから、これからの若者は、もっと強くたくましくなっていくだろうなって、私はちょっと期待が。それから、自分の意思でいろいろ選んでいく。

草刈:最近、私はすごくそれを感じるようになりました。前よりもきちっと考えをしっかり持って。で、意思もはっきりさせていかないと、なかなかこういう状態になっちゃうと難しくなっちゃうだろうなと思って。

風吹:不安ばかりでは何も進みませんし。でも結果が出てみると、「あの不安はなんだったんだろう」ってことありますよね。だから私は、不安が共同幻想にならないように、やっぱり自分がしっかり。それから、こうやって(浅丘からプレゼントされたブレスレットを見せながら)お守りみたいなアイテムを持ってみたり。何か自分を心で支える、そういったことをしていけば、きっと明るい結果が待ってるような気はしますけどね。

「決してネガティブだけではない答えがあるように思う」という風吹の話に草刈、浅丘も大きくうなずいていた。