毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集い、多彩な話題や事象を取り上げていくフジテレビのトーク番組『ボクらの時代』。
6月13日(日)の放送は、森山未來、石橋静河、長塚圭史が登場し、幼少期の思い出やそれぞれの留学先でのエピソード、家族の話題などで盛り上がった。
石橋静河、バレエに夢中になったのは「反抗でしかなかった」!?
俳優・石橋凌、原田美枝子を両親に持つ石橋だが、自身は4歳でバレエを始め、15歳から4年間は海外にバレエ留学をしていた。そんな石橋に、俳優・長塚京三を父に持つ長塚が質問。
長塚:ダンス(バレエ)に走るっていうのは、それは反抗なんですか?
森山:反抗なんすか?
石橋:でも、今思うと反抗でしかなかったなと思いますね(笑)。
長塚:あはははは。
石橋:物心ついてすぐくらいにバレエを始めたんですけど。でもそのころ、本当に自分が覚えている限りの最初の方の記憶から「私はお芝居やらない」って言っていたんですよ。でも、そんなの知らないじゃないですか。そんな小さい子が、お芝居の世界がどういう世界で、どういうものなのかって。だから、「(本当はお芝居を)やりたかったのかな」と思いますけど。でもそういう、そう思ったことすら覚えてないぐらい全否定していたので…反抗でしたね(笑)。
幼少期は、世界最高峰とも言われるロシアの国立バレエ学校「ワガノア・バレエ・アカデミー」のドキュメンタリー映像を「(ビデオ)テープが擦り切れるまで見ていました」と、バレエに夢中になっていたと振り返った。
同じく、子どものころからダンスに親しんできた森山。
石橋:未來さんは、ダンスをやっていて、子どものころ男の子で周りにダンスやってる人っていたんですか?
森山:いない。
石橋:そこは、何か抵抗はなかったんですか?
森山:というよりも、今でこそ“子どもクラス”みたいなのがストリートダンスにもあるし、いろんなクラスに子どもクラスがあるけど、そのころ、子どもクラスがそもそもなかったから。
石橋:ああ。
森山:大人に交じってストリートのレッスン受けてるとか、そんなんだった。
長塚:ふうん。
石橋:へぇ、面白い。でも前のほうが、もっと「男の子が踊りをやるのはちょっと…」みたいな「恥ずかしい」みたいな空気ってあった気がしたんですけど。
森山:あったと思う。
石橋:そこはあんまり、未來さん自身は感じてなかったんですね。
森山:うーん、バレエとかにのめり込まなかった理由は、もしかしたらそういうところにあるのかもしれない。もともとの自分の原体験がミュージカルだから。“どバレエ”ではないから、単純にひかれなかったっていうのもあったかもしれないけど。
森山は「でもやっぱり、黒のタイツとか履くことに対しての抵抗はあったかもしれない」と回顧し、石橋も「ありますよね」とうなずいていた。
一方、長塚は、「僕は自分の世界に入っちゃう、要するに人形遊びをずっとしてるみたいな子どもだった」と振り返った。
長塚:1人でずっと遊んでるから、世界を作ったり世界に入り込むのが好きで。人形遊びから抜けられなくて大変っていうくらいだったから。だから、そういう物語世界にはひかれてたし…映画だよね、ひかれたのは。「映画の世界に入るのかな、関わりたいな」というのは、ずっと思ってた。
石橋:でも、そこで演劇の方に行ったんですね。
長塚:映画のやり方がわからないから。カメラもないしさ。で、その中で高校のときに、演技っていうものに触れる。高校演劇みたいなのに、僕は普通に手を出して。
長塚は、高校生のころから大学生の先輩たちと一緒に劇場を借り活動していたそうで「下北沢にどっぷりつかった」生活を送っていたと語る。
長塚:大人になったら、面白いこととシリアスなことを行き来する、会場を整理していたと思ったら舞台に立っているみたいな、そういう人になれたらいいなっていうふうに思っていて。
長塚は、そのころの思いは「ある程度実現した」と言って笑った。
海外留学で立ちはだかる「言語の壁」を超えるとき
また、それぞれ留学経験がある3人は、留学先でのエピソードも明かし「言語の壁」について語り合った。
石橋は、思いきって日本を飛び出したが、文化も言語も違う海外で友達もできず「最初の2年は孤独」な日々を過ごしたという。
森山:「2年間孤独」ってすごいね。
石橋:(笑)。そうですね。ずっと夕日の写真とか撮ってました。
森山:俺は、1年しかイスラエルには行ってなかったけど、やっぱり半年はコミュニケーションがすごく難しくて。でも、3、4ヵ月後にリハーサル後のプレミア(初日)があって、新作の。それを、みんなで共有したタイミングからコミュニケーションみたいなものの取り方がすごく自分の中では感じられるようになったっていうか。それはだから、自分の言語ができている、できてないじゃなくて、ちゃんとシェアできる時間が…。
長塚:目的がね。
森山:言葉が出てこようが出てこまいが、信頼関係で一緒にいられるっていうところから、コミュニケーションが深まっていったみたいな感覚は、俺はあったけど。
また、1年間ロンドン留学をしていた長塚に対しては、森山が疑問をぶつけた。
森山:静河ちゃんも僕も、いわゆるダンスでアカデミーに入るなりカンパニーに入ったりして、もちろん言葉の壁みたいなのはあるにせよ、体でコミュニケーションする。言葉、言語を使わないところでコミュニケーションが取れるから、また違う関わり方があるじゃないですか。でも、演劇的なアカデミーとかに入ると、もう基本こっち(言葉)じゃないっすか。こっち(言葉)かこっち(書くこと)じゃないっすか(と、ジェスチャー)。
石橋:たしかに。
森山:そこから入ると、結構きついなとは思いますね。
長塚:やっぱり、きつかったね。
そんなとき、長塚は、原爆投下後が舞台の井上ひさしによる戯曲「父と暮らせば」を読み返したという。
長塚:だいたいほら、海外にいて日本の戯曲を読んだりすると入り方が違うじゃない。ズーンと入ってくるから。このアイデアをどうやったらイギリスの様式のままで「父と暮せば」ができるのかっていうことを考え始めて。そのワークショップをやってるときは、俺もよくわからないけど、しゃべってるよね。
森山:ふははは。
石橋:面白い。
森山:戯曲も翻訳したんですか。
長塚:翻訳はもうあったの。ところがこれが問題でさ、アメリカの英語なんです。
石橋:全然違いますよね。
長塚:それでイギリス人の俳優さんたちと、そのディスカッションから始まるわけ。「こんな言い方はあり得ない」みたいな。
石橋:でも、その違いって本当に文化の違いじゃないですか。それって本当に途方もないですよね。
長塚:途方もない。でもね、イギリスの英語になったときに、彼らが非常にナチュラルになるのは事実なのよ。とっても面白くて、「こうやってアイデアを練るっていうこと自体の素晴らしさが、面白さがあるんだな。で、作品にジョインするっていうやり方を見つけることができるんだ」と思ったら、急にやる気がメラメラわいてきて。
長塚は「で…帰りたくなったよね」と続け、2人を笑わせた。
妻・常盤貴子と「認め合いながら、歩んでいる」(長塚)
また、石橋は自身の結婚観について「結婚したいというより、一緒に戦っていける人と出会いたい」と語り、長塚に妻・常盤貴子との関係を訊ねた。
石橋:どうですか、役者同士というか…。
長塚:うちは、お互いの仕事、別にとやかく言わないし、認め合いながらっていうか。観察しながら、歩んでる。本当にとやかく言わないからね。うちはね、すっごいほめてくれるのよ。
石橋:え、素敵!
長塚:困ったときに。
森山:すごい、すごい。
長塚:それは「偉いな」と思うんだよね(笑)。ただ、ほめられてうれしいんじゃなくて「偉いな」と思って。僕はおしゃべりだからさ、いろいろ自分が思っていることとかを話していて。「こんなことがあるから、このことを始めようと思っている」っていう、土台を話すじゃない?そうすると「土台がいいんだからさ」とか「土台が面白いんじゃん」っていうことを、思い返させたりしてくれる。それは、あの人の懐の深さというか。
石橋:素敵。
森山:シンプルなところに戻してくれてもいますしね。
長塚:そうそうそう。
長塚は、常盤について「ややこしいことをしようとすることを、良しとする人」「簡単な道に行くことについて、非常に冷たい目で見るところがある」と語り、劇作家・演出家である自分にとって「そういうところは、いいですよ」と告白。森山と石橋は、感心していた。