2人の若者が被爆地である広島、長崎を訪れ「あの日」と向き合う
長崎の高校2年生・塩野花菜さんが原爆について深く考えるようになったのは、小学2年生の校外学習がきっかけでした。
そこで原爆の被害を知った塩野さんは、自ら調べた内容をレポートにまとめ、その後も長崎で平和活動に取り組んできました。
しかし、同じ被爆地である広島を訪れたことはありませんでした。核兵器がどれほど恐ろしいものなのかを、自分の目で確かめたい――。
そんな思いを胸に、塩野さんは初めて広島へ向かいます。そこで目にしたのは、教科書や授業で得た知識だけでは受け止めきれない、被爆の現実でした。
もう1人、長崎を訪れるのが、小学6年生の細井奏志さん。細井さんは、小学3年生のとき、長崎で被爆した三田村静子さんの体験を直接聞きました。
三田村さんの証言を受け継ぎ、小学5年生から、その記憶を自分の言葉で伝える「伝承者」として活動。
番組では、被爆体験を語り継ぐ最年少の伝承者として紹介され、叶えたい将来の目標を真っすぐに語ります。
知識として知る「あの日」と、現地で触れる「あの日」。2人は何を受け取り、どのような言葉を持ち帰るのでしょうか。
校庭での火葬、遺体と間違われた少女――被爆者たちが語る「あの日」
広島で被爆し、長年にわたって自身の体験を語り継いできた、切明千枝子さん。
原爆が投下された当時、現在の高校1年生にあたる年齢だった切明さんは、学徒動員によってたばこ工場で働いていました。
激しい閃光と爆風によって工場の機械が倒れ、同級生が下敷きとなって命を落としました。
学校へ戻った切明たちを待っていたのは、建物疎開の作業現場から、全身に重い火傷を負って戻ってきた下級生たちでした。
誰が誰なのか、わからないほどの傷を負い、1人、また1人と息を引き取っていく生徒たち。生き残った上級生の切明さんは、亡くなった下級生の遺体を校庭で火葬するよう命じられます。
炎の熱によって遺体の手足が動くのを見た切明さんは、「まだ生きているのではないか」と叫びました。
そのとき、教師から告げられた短い言葉。顔を背けることも目を閉じることもできないまま、切明さんは、目の前の光景を見続けました。80年以上が過ぎた今も消えることのない記憶を、切明が静かに語ります。
広島で被爆した、大橋和子さんは、当時12歳。建物疎開の作業に動員されていた午前8時15分、空を見上げた瞬間、激しい光と爆風に襲われました。
目の前にいた友人が盾となったことで一命を取り留めましたが、その友人と再び会うことはありませんでした。
重い傷を負い、遺体と間違われてトラックに積み込まれた大橋さん。声を出すこともできないなか、彼女はいかにして自分が生きていることを伝えたのでしょうか。
さらに救護所では、焼け残った1枚の名札が大橋さんの運命を変えます。叔父がのちに「1分間の奇跡」と呼んだ、生還までの経緯が語られます。
