村瀬健プロデューサー(以下、村瀬P)が、チームを引っ張るためのマインドを明かしました。
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木曜劇場『silent』『いちばんすきな花』(ともにフジテレビ)、『14才の母〜愛するために 生まれてきた〜』(日本テレビ)、映画「帝一の國」など、ヒット作を手がけてきた、フジテレビの村瀬P。
このたび、初の著書「巻き込む力がヒットを作る “想い”で動かす仕事術」(KADOKAWA)を上梓しました。時代をつかむ感覚や、才能を集めて仲間にする口説き術、企画を動かす決断力・行動力など、ドラマ・映画プロデューサーとして培ってきた知見を、余すことなく綴っています。
フジテレビュー!!は、村瀬Pにインタビュー。『silent』ヒット後の変化、過去の失敗から得たもの、プロデューサーとして大事にしていることなどを聞きました(全3回中2回目)。
『silent』ヒット後の今は「怖い」 期待される恐怖
――著書で「とにかく僕は仲間に恵まれています」と、周囲への思いを繰り返し述べているのが印象的でした。
僕は、突出したクリエイターでも優秀な人材でもありません。僕がやりたいことを形にしてくれる、チームの仲間、制作会社の皆さん、上司、部下はもちろん、フジテレビのドラマ班全体、編成、広報、営業…たくさんの方に支えられています。
「村瀬の企画、面白そうだな。やってみよう」と思ってくれる、あらゆる人たちのおかげでここにいます。偉そうにしゃべっているなと思うかもしれませんが(笑)、謙遜ではなく、明確にそう思っています。
――村瀬さんの人徳もあるのではないでしょうか?
そんなの、ないですよ。ただ、唯一あるとしたら、僕いつも楽しそうでしょ?いろいろ大変な世の中だけど、「あいつ、なんか好き放題やってて楽しそうだな」っていう空気をまとっている自信だけはあります。
恐らくフジテレビは、そういうタイプの作り手が嫌いじゃないのかも。会社は僕のことを面白がって「自由にやっていいよ」と言ってくれているんだろうな、と勝手に思っていて。そういう気持ちで、ずっとやっています。
――村瀬PのX(旧Twitter)などからも、そういった雰囲気が伝わってきます。楽しむ原動力は、どこから来るのでしょう。
何ですかね。でも、本当に楽しいんですよ。僕は日本テレビから中途採用でフジテレビに来たんですが、ありがたいことに、その年すぐに『太陽と海の教室』(2008年)で月9デビューをさせてもらって、脚本家の坂元裕二さんとも出会って。日テレ時代から憧れていた監督やディレクターの皆さんと、たくさんご一緒させてもらいました。
組織にいると、上から「これやってくれ」って下りてくる仕事もあるじゃないですか。でも僕は幸せなことに、そういうのがなくて、わりと自由にやらせてもらっているので、そこに対する感謝はありますね。ただ、自由には責任が付きまとうので、絶対にいいものを作って当てなきゃいけないと思っています。
――2022年に『silent』が大ヒットしましたが、状況は変わりましたか?
そうですね。もともと僕は『silent』の前から、あまり出社せずに相手の事務所や現場へ行くという働き方を許してもらっていたんですが、『silent』がああいう結果を出したことで、ますますフリースタイルに拍車がかかるようになりました(笑)。
ただ、今は、会社からすごく期待されているという恐怖感があります。怖いです、正直。いろいろな人に「言っときますけど、毎回毎回『silent』ができるわけじゃないからね」と言っているのですが、それでも、今後も『silent』級のヒットを目指していかなきゃいけないとは思っています。
上司から「何でこんなのやってんの?」 若手時代の苦い経験
――運も実力も兼ね備えている印象ですが、過去の失敗談があれば教えてください。
いっぱいありますよ。若手の頃にあるドラマを任せてもらったんですが、「あれもやりたい、これもやりたい」って、ラブストーリーも友情も親子愛も、いろんな要素を詰め込んで。さらに、企画やキャスティングに関する会社の指示も全部聞いて入れ込んで。そうやった結果、大失敗したことがあります。
当時の僕には、あまりにも手腕がなさすぎて、何をやりたいのか、さっぱり分からないドラマになってしまった。しかも、僕に「ああしろ、こうしろ」と言っていた上司が、オンエアの時には異動でいなくなっちゃったんですよ。だから、“村瀬が勝手にやった結果ダメだった”という空気になって、新しい上司にも「何でこんなのやってんの?」と言われて。
もちろん、僕が未熟だったのが原因だけど、その時に「人の言うことを聞いても、組織としては、誰も守ってくれない」と痛感しました。実は、フジテレビに来てからも、同じような経験をしたことがあります。その頃は転職して間もなかったこともあって、周りの言うことを聞いて作ったんだけど、正直何もかもがうまくいかなくて。
僕、失敗したときに、人のせいにするのが嫌なんですよ。だから、自分が納得できない意見は聞かないと決めています。別にカッコつけてるわけじゃなくて、自分で責任を取りたいからなだけです。失敗したときに、誰かのせいだと言い訳できる状況を作りたくないんです。失敗を何度か経験して、強くそう思うようになりました。
――そういう失敗の積み重ねが、ヒット作を生む力になっているのですね。
ちなみに、その逆は大好きです。『silent』が成功したときに、いろんな人が「『silent』(の企画)は俺が通してやった」「『川口春奈さんがいいよ』って勧めたのは俺」と言っていたんです。この会社ではよくある、“あれ俺詐欺”(笑)。でも、僕はいいと思うんです。だって、皆がちょっとでもそういう気持ちになれる作品を作れたんだから、こんな幸せなことはないです。
ただ、作品がコケたときに「あれ、俺の責任だ」と言う人は、ほとんどいない。僕はプロデューサーとして「上司に言われたからやった」「監督が言うこと聞かなくて」と言うのが嫌なんです。コケたときは絶対、自分の責任にしたい。人のせいにしたくない。
昔、脚本家・遊川和彦さんが「成功したらみんなのおかげ、失敗したら自分の責任」と話していたのを聞いて以来、僕はずっとそう思っています。
「スタッフは大変だと思います」チームに求める厳しさ
――「自分で責任を取りたい」とはっきり言える上司は、少ないかもしれません。
僕がそう言えるのは、ドラマの制作チームが“上司と部下”の関係ではなく、僕が声をかけて集めた“仲間”だからなのかもしれません。スタッフに仕事を任せた結果うまくいかなかったとしたら、それは100%僕の責任です。そのスタッフをチームに誘ったのは僕だからです。
でもその分、僕は作品のクオリティを求めるので、本当に厳しいと思います。スタッフから完パケ(完成品)を受け取って、普通だったらそのまま納品するところ、僕は気になる箇所があればギリギリまで直します。スタッフは大変だと思いますよ。でも、僕の仲間たちは最強だから「こんなもんじゃないよね。まだいけるよね」という思いでやっています。
これは僕だけじゃなく、どのプロデューサーも、どのディレクターも、特にフジテレビには他局に胸を張れるクリエイターがいっぱいいるから、みんなそう思っているんじゃないでしょうか。中でも僕は「責任は取るから、最後の最後までやろう」という気持ちが強いと思います。
――村瀬Pは、妥協したり、既成概念にとらわれたり、ということがないですよね。
僕が、「人のせいにする」ほかにもう一つ嫌いなのが、「前例にない」という言葉。この仕事をしていると、多いんですよね。「前例がないからできない」「お金がないからできない」って言われること。だったら、できる方法を「考えようよ」って思います。
本当にできない理由があるなら諦めるけど、「前例がない」というのは、理由にならない。だって、僕は、誰もやったことがないことをやりたいんですから。前例なんかあるわけない。ないものを理由にして諦めるなんて、それこそ理由が何もないですから。
とにかく「やる」って言わないと物事は動かないから、説明して協力してもらう。そうやって切り開くのが、僕は好きだし、僕のやり方だと思っています。
インタビュー第3回では、「前例がない」をくつがえしたエピソードや、テレビドラマの将来について聞きます。