SKE48時代の失敗談やグループ卒業直後での恋愛解禁宣言など、包み隠さず語る姿が印象的な菅原さん。
そんなアイドル人生を終えて、タレントとして再出発した菅原さんに決断の理由を聞くと、実はグループ卒業を決めた当時はタレントではなくマネージャーを志していたことを明かしてくれました。

裏方からタレントの道へ…地元の両親や友達の応援が後押しに

――そんな山あり谷ありだったアイドルを卒業したあと、様々な選択肢がある中で“タレント”という道を選んだのはなぜですか?

実は、卒業することを決めたときは全く違う仕事しようと思っていて…マネージャーとかしてみたいなと思っていました。

――マネージャーですか!裏方の仕事ということでしょうか?

そうです。高校1年生のときからSKE48に入っていて、社会に出るのは早かったのですが、ちゃんとした社会を知らなかったので。
そういう裏方のお仕事を仮にしたいとなったときに、パソコンもいじれない、正しいマナーも知らないので、普通に社会人としてのいろいろなことが欠けているなと。なので、そういうことをやるのは早い方がいいかなと自分の中で思っていました。

でも、地元が宮城で、高校1年生のときに親元から離れて1人で名古屋でアイドルをやっているうちに、宮城でのお仕事もだんだん増えていくようになって。両親や友達が、宮城での活躍をすごく喜んでくれていて。そういう中で「もうちょっとやってみてもいいんじゃない」と言われて、それで芸能の世界に残るのって逆に今しかないかと思ったんです。そこでマネージャーからタレントに切り替えました。

やっぱりアイドルになりたいという夢を応援してくれた両親が喜んでくれるなら、これが私にできる親孝行なのかなと思ったので、タレント活動を続けることを決めましたし、SKE48のときに叶えられなかったことも正直あったので、それを叶えられたらいいなと思っています。

――その叶えられなかったことというのは具体的には何ですか?

地元でのレギュラーを持つというのが、SKE48のときに叶えられなかったので、そういうことを来年は叶えていけたらいいなと思っています。

タレントとして再出発も「スケジュールがスカスカ(笑)」で逆に燃える!?

様々な葛藤がありながらも、地元・宮城にいる両親や友達の後押しでタレントとして再出発することを決意した菅原さん。
グループ所属から個人としての活動ということもあり、環境の変化もかなりあったよう。

――タレントとしての再スタートは、アイドル時代と比べてかなり環境の変化があるかと思いますが、菅原さんの中で一番の大きな変化は何でしょうか?

やっぱりスケジュールがすごいスカスカということが、やっぱり環境が違うなって…(笑)
今まで歌って踊ってというSKE48としての仕事がたくさんあったので、SKE48で決まっているレギュラー番組にも呼んでもらえますし。あとは、レッスンという表に見えないお仕事もたくさんあったので、スケジュールがいっぱい埋まっていたんです。今はそういうのが全くないので、もうすごく暇で(笑)自分のスケジュールを見ると「こんな空白あるんだ」と思ってしまって、ちょっと今やられていました。

――そこはやっぱりグループと個人での活動の違いだなと感じますか?

そうですね。なので、ここをちゃんとタレントとしての自分の仕事で埋めていけるようにしたいなと逆に燃えました!

――菅原さんがこれから具体的にやってみたいお仕事や今度の活動の野望を教えてください。

喋る仕事をもっとやっていきたいなと思っていて。外でのロケだと自分的には素直に伝えられるかなと思うので。まずは外のロケでいろんな景色を見て、そこで“伝えること”をたくさん身につけていきたいなと思います。食べることも好きなので、食べるお仕事もしたいなと思っています。あとは、写真集も出させてもらっているのですが、写真を撮られることもすごく好きなので、そういう写真に関わるような、撮ってもらえるお仕事もしていけたらいいなと思っています。

そして、宮城で歩けないくらいのタレントになりたいなと思っています。それでこそ宮城といえば、サンドウィッチマンさんや狩野英孝さんとか、そういう方々がいると思うので。宮城県民といえばというときに、パッと思いつく人の名前に自分が挙がったらいいなって。宮城で歩けなくなるくらいのタレントになりつつ、いつかは東京の番組でもレギュラーを持って、司会とかできたらいいなと思っています。

――今後の活躍を楽しみにしています!インタビューは以上です。ありがとうございました!

ありがとうございました!

撮影:河井彩美