2025年8月にSKE48を卒業し、タレントとして再出発した菅原茉椰さんにめざましmediaがインタビュー。アイドルを卒業した今だからこそ言える“大先輩”の卒業コンサートでの失敗談や堂々恋愛解禁宣言も!?飾らない言葉で赤裸々に語ってくれました。

「メンタルが安定してなかった」SKE48時代に活動休止も経験した菅原茉椰が明かすアイドルとしてのプレッシャー

2015年にSKE48のメンバーとしてデビューし、10年間のアイドル活動を経て2025年8月にグループを卒業した菅原さん。
アイドル時代には、複数のシングル曲で選抜メンバーとして活動しながらも、2度の写真集発売や雑誌のモデル、さらに地元・宮城でのテレビ出演など様々な分野で活躍してきました。

そして、11月からはタレントとして新たな道へ再スタートを切った菅原さんにめざましmediaがインタビュー!
アイドル時代の葛藤や今後の展望、さらに今だから話せるSKE48での失敗談や恋愛解禁宣言も赤裸々に語ってくれました。

――まず、今年8月にSKE48を卒業された理由を教えてください。

今年でアイドルデビューして10周年だったんですけれど、元々今年中にはどこかのタイミングで卒業発表しようとは思っていました。去年のSKE48の周年ライブのときに、来年から新しいチームで活動していくと発表されて、それを聞いて「あ、自分が今外に出るタイミングかも」と思って。そのSKE48が変わるタイミングもそうですし、自分がずっとやってみたかったことがあったので、それで1歩踏み出そうと思っているうちに外に出ないと、いつまでもSKE48にいてしまうなと思ったので。今だと思って卒業を決意しました。

――以前から10年で卒業しようという気持ちがあったんですか?

そういうことでもないんですけれど、一度SKE48で活動しているときにちょっと心が疲れてしまって、アイドル活動をお休みする期間があったんです。それも6年も前の話なのですが、その後復帰してからは常にどこかに“卒業”がありました。だんだん活動していくうちに「他のこともやってみたいかも」という気持ちが強くなってきて、「来年くらいには決断できたらいいな」みたいな感じには思っていました。なので、10周年だからというよりは、来年くらいには決断できたらいいなと思っていたら10周年だったという感じです。

――アイドル活動を休止していた期間もあったということですが、当時はどのような挫折があったのでしょうか?

やっぱりたくさんのメンバーがいたので、比べる人もいるし、比べてしまう自分もいて。そういうのが大人数グループならではかなと思います。安定したポジションというのは、他のメンバーに比べたら私はチャンスをたくさんいただく機会は多かったと思いますが、そのチャンスもいつなくなってしまうんだろうとか、また自分でつかめるのかなとか、そういう不安がありました。
逆に今までもらいすぎていたので、それがなくなってしまうと思ってメンタルが安定していなかったことが多くて、それがすごく大変でしたね。

――それでいうと10年もアイドルをやっていると、新メンバーたちがどんどん入ってくることもプレッシャーになった部分はあるんでしょうか?

自分が入ったときに、たくさんの先輩にかわいがってもらったので、新しい子たちが入ってきて、それを自分ができるのかなというプレッシャーはたくさんありました。でも、自分が外されるとか、そういうのは特になかったです。後輩たちにとっての先輩がちゃんとできるかなという気持ちがとてもありました。

SKE48時代では、“安定したポジション”を常に得られないという不安を抱えながら活動していたこともあったという菅原さん。
そんなアイドル時代を経て、10年間という長い活動を終えた菅原さんに「今だから話せるアイドル時代の○○」をテーマに今まで明かしていなかった裏話などを伺ってみました。