<國村隼 コメント>
――オファーを受けたときは、どう思いましたか?
本を読ませていただいたときに「すごく温かでクリスマスイブにぴったりなお話だな」と思いながら読んだんです。といいつつ「僕、ピアノってやったことないけど、どうしよう」というのが一番最初の印象で、「本当に大丈夫かな」という気持ちがまず最初に来ましたね。
――ピアノ練習の進捗状況はいかがですか?
今練習していますが、撮影までになんとか必要とされることができるように…本当に、鍵盤ってどれがどうなのかというところから始まったので、まだ不安は残っていますけれど、先生に導かれながら、ある程度まではどうにかできるかなと自信も少しづつ芽生えてきています。
――國村さんの50周年というタイミングで、主演を務めることについて聞かせてください。
メインもサポートも、役を演ずるということでは同じなんですが、主役という役割は真ん中に立ってドラマの世界を回していくわけで、サポートするときよりも作品自体のひとつ別の荷物を背負わなといけないと思います。
やっぱり、実際に見てくださる視聴者のみなさん、僕の感覚でいうと「お客さん」という感覚ですけど、お客さんにとって本当に楽しんでもらえるものにしなければいけないという気持ちを普段よりも強く、責任感を感じながら今ピアノの稽古をしています。
――台本を読んだ印象は?
オーソドックスなストーリーテリングですが、それがゆえに今たくさんあるドラマとは逆に新鮮なイメージでお客さんは捉えてくれるだろうなと思っています。ストレートな物語のなかから、それぞれの登場人物のキャラクターの思いがストレートに伝わってくると思います。
1年の終わり、聖夜のひとときに久しぶりに家族で、また1人で見るのも心が温まってくる、そんなドラマです。“今だからこそ新しく感じられる”ような作品になればいいし、そうなるんじゃないかなと思います。
――國村さん演じる、渡会喜一郎という役について教えてください。
とっても不器用な人だなって。言葉足らずというか、本当はシャイで聞きたいことも聞けないような、ものすごく引っ込み思案なところもあるだろうし。ただし、この人の場合は外からはそう見えないというか、よくいる偏屈なおじさんといわれる人ではあるだろうと(笑)。
ただ、奥さんへの思いを、奥さんはわかってくれているけれど、いや、わかっていてくれていただろうとの思いを持ってはいるんです。ピアノに触れることで、この人の人生も少しずつ温まっていくんだろうなと思います。
喜一郎は、この世代の日本の男の典型なのかもしれませんね。若い女性脚本家さんの書かれたこの男を、ベテランの演出家とともに手を携えて立ち上げていこうと思っています。
――視聴者のみなさんへメッセージをお願いします。
今回、私がやらせていただくことになった『ドビュッシーが弾けるまで』。放送も、なんとクリスマスのイブだということで、クリスマスにふさわしいお話だなと思います。クリスマスはいろいろ予定もあると思いますが、よかったらお家でこのドラマをご覧ください。あったかくなると思います。
