26年にわたって「ドラえもん」の声を演じた、声優で俳優の大山のぶ代さんが、9月29日に老衰で亡くなっていたことが分かりました。90歳でした。『めざまし8』は、大山さんのマネージャーを35年にわたり務めた小林明子さんを取材。大山さんの母親の存在が“声優への道”を切り開いたと、知られざるエピソードを明かしてくれました。

大山さんが大好きだったゲームは「アルカノイド」

大山さんは、ゲームが大好きだったといいます。フジテレビには、無邪気にゲームを楽しむ姿が残されていました。

大山さんが夢中になっていたゲームは、「アルカロイド」。
1980年代に一大ブームを起こしたブロック崩しのゲームです。

(大山さんが所有していたゲーム)

大山さんと親交のあった辻坂健次さん:
こちら実際に大山さんが遊ばれていたアルカノイドになります。

実はこちらのゲームは大山のぶ代さんが所有していたもので、その後、東京・新宿区の「ナツゲーミカド」に寄贈され、今でも多くの人に愛され続けています。

大山さんと親交のあった辻坂健次さん:
大山さんは、アルカノイドずっとやられたんですね。
「ゲームって人を撃ったりとか、自分が撃たれて死んだりとかするから、すごく嫌なの。でも、これって誰も傷つかないから、だからこればっかりやってるの」って言ってましたね。

個性的な“だみ声“で1979年から四半世紀以上にわたり、ドラえもんに命を吹きこんだ大山さん。
唯一無二の存在となったその裏にあったのは、声優としての優しさでした。

2006年のインタビューでは、ドラえもんの話し方について、こんなエピソードを語っていました。

――どんな声でドラえもんを演じようと?

大山のぶ代さん:
ひっくり返って足バタバタさせてるのび太を見て「お前がのび太か」とは私は言えないと思ったんです。だから「こんにちは。ぼくドラえもんです」ってまず言って、自己紹介してから「君がのび太君かい?」なんてしゃべり出したのが、そのまま26年続いたんですけど。

ドラえもんを演じる際、優しく丁寧な口調を意識したという大山さん。

めざまし8は、大山さんのマネージャーを35年にわたり務めた小林明子さんを取材。
大山さんの母親の存在が、「大山のぶ代さんの声優への道」を切り開いたと話します。

35年間務めた大山さんのマネージャーが語る「母の存在」

35年間マネージャーを務めた小林明子さん:
よく中学校とかでからかわれていたらしくて、お母さんが一言「弱いところがあるんだったら、その弱いところを強みにするような努力をしなさい」と。

2001年、大山さんに直腸がんが見つかります。その時に支えとなったのは結婚して37年目を迎えた夫で俳優の砂川啓介さんでした。

大山のぶ代さん:
結婚37年目で初めて経験したことで、私なりにこの夫婦ってものとか夫の対する気持ちとか考えましたね。改めて、やっぱりこの人は頼りになるというか、私にとってはかけがえのない人だと思えたし。

2005年にドラえもんの声優を降板、その後大山さんは2008年に脳梗塞、2012年にアルツハイマー型認知症を発症します。

そして2017年には最愛の夫、砂川さんが他界。その時の、大山さんは…。

35年間マネージャーを務めた小林明子さん:
(大山さんが)涙ボロボロ泣くし。顔触って「お父さん」って言ってたんで、あっ分かったんだなって思って…。棺を離れましたらパッと帰るんですよ。お顔見たら分かるっていう感じでしたね。

認知症が悪化していく一方で、砂川さんへの思いはずっと変わらなかったといいます。

そして2024年9月29日。

35年間マネージャーを務めた小林明子さん:
急に心臓の心電図が落ちてきた…。安らかな顔で逝っていった。

弱みを強みにし、ドラえもんと一緒に歩んだ大山さん。

その声は、今もアニメの中で生き続けています。

大山のぶ代さん:
この辺にいるんですよ。私の場合ドラえもんが。
考えるようなことがあるとそばで「それはこうですよ」なんて。いつもくっついて歩いています。

(『めざまし8』2024年10月14日放送より)