スイスに到着すると、マユミさんには最後にやっておきたいことがたくさんありました。娘たちの誕生日には、毎年自分からのメッセージが届くように、と何年分もの手紙を認め、マコトさんに託しました。

涙ながらに語った「悔しさ」

スイスで街散策をするマユミさん夫婦

最期を迎える前夜、マユミさんは娘たちに向けたボイスメッセージも撮影していました。「おはよう」「おやすみ」「大好きだよ」…娘たちから送られてきていたリストを1つ1つ、照れながらも丁寧にマユミさんはカメラに向かって読み上げていきました。夫のマコトさんからは「愛してる」と言ってほしいというリクエストが入りました。照れながらも、「愛してる」とマユミさん。言い方が気に入らなかったようで、マコトさんは「もっと真剣に」と、言い直しを求めました。明るく、笑いながら、ボイスメッセージの撮影が終わると、マユミさんは娘たちへの思いを吐露しました。

「子どもなりにすごくいろいろ考えていて、その時々で私が『欲しいと思っているんだろうな』っていう言葉をずっとかけてきてくれていて、本心ではない部分もあると思うんですけど受け入れようとしてくれて、そういう風に言ってくれるのはありがたい一方で、私自身はもうこれから逆に返せるものがなくなっちゃうので、残念というか悔しいという気持ちがあります」

これまでずっと気丈に振る舞っていたマユミさんの頬には涙が伝っていました。

「みんな、元気でね」家族にかけた最後の言葉

 スイス最終日。朝8時半にホテルのロビーを出発した夫婦。タクシーに乗って、最期を迎える施設へと向かいました。ホテルでこれまでの思い出を朝まで語り合っていたという2人は一睡もしなかったそうで、どこか疲れ切っているようでした。タクシーの中では沈黙が続きました。窓の外をじっと見つめるマユミさんを乗せた車は、30分ほどで施設に到着しました。

医師たちとの挨拶を済ませると、マユミさんはすぐに娘たちとテレビ電話を繋ぎました。昨晩家族で話し合い、娘たちも画面越しに母の最期を見届けることになったといいます。点滴をつなぐタイミングから、マコトさんがスマホを持ち、娘たちに準備の全てを見せていました。

マユミさんの最期を見守る家族

医師から最終確認がありました。「この点滴を開けるとどうなるかわかっていますか?」「私は死にます」「死を望む気持ちが確かなら、この点滴を開けていいですよ」その言葉を聞き、うなずいたマユミさん。マコトさんから「出会ってくれてありがとう。生きてくれてありがとう」と、言葉がかけられると、それに続いて娘たちも、「ママ大好き」「また会おう」と涙ながらに母への言葉を送りました。マユミさんはそっと点滴の栓を開けました。「スイスに行っていいよって言ってくれてありがとう。みんな、元気でね。」それが、最後の言葉となりました。

母が娘たちに遺した数々

マユミさんとの思い出の絵描きゲームをする家族

マユミさんが旅立った後も、その存在は、家族の中に息づいていました。娘たちに残された何年分ものバースデーカード。エクセルに細かく記載されたやることリスト。料理好きだったマユミさん直筆のレシピ。最後まで家族のことを考え続け、マユミさんはあらゆるものを家族のために遺していました。

月命日、家族はマユミさんの友人や会社の同僚を招いてお別れ会を開き、30人ほどが集まりました。プロジェクターにはマユミさんと家族の思い出の写真が映し出され、友人と同僚は涙ながらに追悼の言葉を送りました。しかし、マコトさんの言葉で会を仕切り直し、立食でのパーティーが開かれると、皆朗らかな表情で、マユミさんとの思い出を語っていました。「何かあったらいつでも相談してな」マユミさんのママ友が娘たちにそんな言葉を自然とかけていました。これもまた、マユミさんの人柄あってのことです。会社の上司はマコトさんに「マユミさんは女性陣の支柱になっていたんですよ」と言葉をかけました。亡くなる直前まで、やることリストをまとめるマユミさんの姿から、仕事での活躍ぶりを想像するのは容易いものでした。お別れ会は、マユミさんの温かさを体現したかのような、温かさに包まれていました。