「私だって生きられるなら死にたくない」。そんな思いを抱えながら命の決断をした母がいます。家族4人でゲームを楽しみ、笑い、語り合う。夫と2人の娘と暮らすマユミさん(44)と家族は、この楽しそうな姿からは想像できないほどの苦悩と向き合ってきました。

全身に転移したがんに苦しむ中、日本では許されていない「安楽死」をスイスで選んだ母と、その決断に向き合った夫と2人の娘の姿を記録した「私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~」

は大きな反響を呼び、TVer見逃し配信「報道・ドキュメンタリー部門」で歴代最高再生数を記録しました。

母の死から2年、当時を振り返り、家族は今、何を思い、どう生きるのか…。

闘病の末 44歳の母が決めたことに娘たちは…

マユミさんの病気がわかったのは、2020年12月。子宮頸がんでした。しかもそれは、神経内分泌腫瘍という進行が速い希少がんでした。子宮頸がんから膣、膵臓、肺、頭皮、さらには脳へとわずか3年のうちにがんが転移を繰り返し、身体はもう、限界を迎えていました。あらゆる治療を尽くした末、彼女は“安楽死”が認められているスイスで最期を迎えることを決めたのです。

ゲームをするマユミさん一家

当時高校生3年生だった長女は、「最初は元気な時に言われたので冗談かと思いました」と当時を振り返ります。母の決めたことに実感を持つまで、時間がかかったそうです。

小学6年生だった次女には最初、手紙を通じて知らされました。その時、マユミさんはこんな言葉を綴っていました。

「悲しい話をします。ママはもう体がつらくて、これからはもっとひどいことになるから、11/9にスイスで死をむかえようと思ってます。11/5に出発します。受験、応援してるよ。そばには居れないけど、いつも応援してるからね。大人になって、仕事したり、子供が出来たり、これからの人生がすばらしいものになるよう祈ってます。大すきだよ。ずっとずっと応援してるからね」

母にもっと一緒にいてほしい。それでも、つらい闘病生活を誰よりも近い距離で支えてきた娘たちは、母の一番の理解者でもありました。

夫のマコトさんに打ち明けられたのは、病院からの帰路にあった車中でした。マコトさんは、妻を止めようと必死でした。これまでも妻を隣で励まし続け、その度に前へと進んできた夫婦。それでも、この時は状況が違いました。頭皮に転移したがんは、日に日に肥大化していくのが目に見えて分かったのです。

「このペースで脳ががんでパンパンになっていくのは耐えられない」

スイスへの飛行機に乗ろうにも、大きくなった脳の腫瘍が気圧変化の影響を受ける可能性まで出てきました。 もう時間がなかったのです。

家族で何度も言葉が交わされた後、マユミさんはスイス行きの飛行機に乗ることとなります。

「大号泣したのを覚えています」空港でのお別れ

2023年11月5日、日曜日の朝。マユミさんが空港へ向かう日です。翌年には大学生になる娘は、母にあることをお願いします。それは、メイクの仕方を教えてもらうことでした。

娘たちにメイクを教えるマユミさん

母が娘に化粧道具の説明をし、メイクをして見せるその様子は、いつもとなんら変わらない日常そのものでした。

こうして自宅を後にしたマユミさん。家族で話し合った結果、娘たちはスイスに同行せず、夫婦二人で向かうことになっていました。元々、娘たちとは自宅でお別れをする予定でしたが、残された時間、少しでも一緒に母と過ごしたいという娘たちの希望から、娘たちも空港まで同行しました。家族は、これから最後の別れとは思えないほどに明るく、和気あいあいとしていました。

空港に着き、別れの時間まで1時間ほどありました。「何か言っとかなあかんことは?」という夫のマコトさんの問いに「なんとでもなるから、好きに生きたらいい」と、娘たちに言葉をかけたマユミさん。母と娘たちは、それぞれがしつらえた手紙を交換すると、涙ひとつ見せずにお別れをしました。

それでも、当時のことを娘たちに話を聞くと、「大号泣しました」と教えてくれました。悲しい別れにしないように、と家族で約束していたのだそうです。だから、母が背を向けて保安検査場に向かうと、後ろを向いた娘たち。こらえていた涙が、溢れてしまいました。